落合博満氏 オーナーに「優勝」誓うも98年ビッグバン打線急失速のワケ「目先の1敗に左右された」

[ 2022年10月26日 17:05 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が26日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。1996年オフに巨人を退団し、日本ハムに移籍した当時を振り返った。

 以前の動画で、巨人退団の真相を語った落合氏。11月28日の巨人退団会見の後、すぐに獲得に名乗りを挙げたのが日本ハムとヤクルトだったという。12月3日にヤクルト、同4日に日本ハムと交渉を行い、落合氏は自らの43回目の誕生日となった12月9日にヤクルトに断りを入れ、日本ハムの球団事務所に出向き、入団の意思を伝えた。巨人を自由契約となってから11日でのスピード決断だった。

 日本ハム・大社オーナーの“15秒即決”により2年契約3億円で日本ハム移籍を決めた落合氏。大の野球好きで知られたオーナーについて「野球少年ですよ。(日本ハムの)前身は徳島ハムかな。で、日本ハムにする時に球団を買収して、っていう本当、野球好きなオーナーでしたよ」と回想。思い出話として「なんか当時の新聞を見ると、会食してるんだね。あれ、なんかの帰りなんだろうと思う。なんかの帰りで食事を一緒にしたような記憶は、あの新聞を見て、“あ、そういえばそうだったかな”っていうような、かすかな記憶は蘇ってきましたね」と自身のおぼろげな記憶に苦笑いを浮かべた。

 当時の新聞を見ると、オーナーが“生きているうちにもう1度優勝が見たい”と言われ「必ず優勝します。約束します」と答えていた落合氏。「だから1年目かな。2年目だったか、優勝するチャンスはあったんだけどね。断トツで走ってて、8月、9月以降、大失速してね。西武に優勝されたっていう苦い経験はありましたけどね」と移籍2年目の1998年に2位に終わったシーズンを振り返った。

 落合氏の目から見た“V逸”の要因の一つには「まあ、その時に、上田監督をはじめ首脳陣がね、1個負け2個負け、3個負けって、だんだん焦ってきてっていうのを目の当たりにしてたんでね。だから首位を走ってるチームっていうのは、1個負けても2個負けても、5つや10個負けるわけじゃないからっていうような気持ちで野球をやれれば、おそらく勝ったんだろうとは思うけども。目先の1敗、2敗に左右されたなっていう感じはありましたね」と当時を思い返しながら分析していた。

 <1998年の日本ハム>上田監督が就任以降、破壊力抜群の打線はこの年から「ビッグバン打線」と命名。17年ぶりの優勝に向けてチームは4月から順調に勝ち進み貯金を積み上げ、7月終了時点で2位の近鉄に7.5差、最終的に優勝する西武には9ゲーム差をつける独走状態。しかし8月以降の大事な終盤戦でビッグバン打線が沈黙。特に前半の快進撃を支えた西浦やブルックスといった4番が大不振に陥り急失速。9月に入り西武に抜かれ最終的には67勝65敗で貯金2の2位に終わった。

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