ヤクルト・村上 52号でノムさんに敬意の合掌「並ぶことができて光栄です」

[ 2022年9月7日 05:10 ]

セ・リーグ   ヤクルト8―6阪神 ( 2022年9月6日    甲子園 )

<神・ヤ>6回、村上は本塁打を放ちホームイン、甲子園の夜空を見上げる(撮影・平嶋 理子)
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 ヤクルトの村上宗隆内野手(22)が6日、阪神戦の6回に甲子園では3試合連発となる52号ソロを放った。日本選手では1963年の野村克也(南海=現ソフトバンク)、85年の落合博満(ロッテ)と並ぶ歴代2位のシーズン52本塁打。64年に王貞治(巨人)がマークした、日本選手歴代最多の55本にあと3本に迫った。チームも延長11回、5時間17分の熱戦を制し、連敗を2で止めた。

 ホームインの瞬間、両手を合わせて天を見上げた。球団OBでもある野村元監督に並ぶ、シーズン52号。村上は表情を変えずにダイヤモンドを一周した後、甲子園の夜空を見上げてレジェンドに敬意と感謝を示した。

 「偉大な野村克也さんと本塁打数が並ぶことができて光栄です」

 4―3の6回先頭。青柳の外角144キロ直球を完璧に捉えた。バックスクリーン左へ一直線に伸び、あっという間に着弾。相性のいい青柳からは今季初、通算7本目の一発だった。63年の野村、85年の落合の日本選手歴代2位に並んだ。

 ヤクルトの礎をつくり上げたレジェンドとの初対面は、プロ1年目の18年2月、2軍の宮崎・西都キャンプだった。テレビ番組の取材で訪れた野村元監督に、当時2軍監督の高津監督が「今年入った村上です」と紹介。「お前、ええ体しとんなあ」と言われ「王の記録(55本)なんか破っちゃえ。とりあえず俺の記録を破れ」と激励された。2年後の20年2月11日に亡くなったが、生前の“約束”を果たすためにまずは肩を並べた。

 聖地では3戦連発。7月31日の3打席連発の衝撃を、再び思い起こさせるような一撃だった。4回には先制の右前適時打を放って、9試合連続安打に30試合連続出塁。「先制のチャンスだったので、大振りせずコンパクトに打つことを心がけました」。2安打2打点で両リーグで唯一、3桁の打点は127。バレンティンが13、18年にマークした球団記録の131打点に次ぎ、01年のペタジーニと並んだ。

 チームは今季2番目に長い5時間17分の延長戦を制し、連敗を2でストップ。早ければ優勝マジックは8日に再々点灯する。次々に球史を塗り替える背番号55は「記録でそういう位置にいられるのは光栄なこと。肩を並べて、追いつき、追い越しとやっていきたい」と高みを見据えている。3冠王の先輩でもある大先輩に必ず「野村超え」を報告する。(青森 正宣)

 《シーズン打点は球団3位タイ》村上(ヤ)が2戦連発の52号ソロ。シーズン52本塁打以上は史上8人目。日本人では85年落合博満(ロ)以来37年ぶり4人目となった。50、51号はともに3位の到達ペースだったが、52号のチーム122試合目は13年バレンティンの114試合に次ぎ2位で、現在60号ペース。この日は計2打点で今季127打点とし、ヤクルトでは13、18年バレンティンの131に次ぎ、01年ペタジーニに並ぶ3位タイとなった。

 《最短で8日M14再々点灯》ヤクルト、DeNAがともに勝ったため、ヤクルトの最短マジック再々点灯日は試合がない8日まで延びた。ヤクルトが7日の阪神戦に勝った場合は、DeNAが7、8日の巨人戦で連敗もしくは1敗1分け。ヤクルトが引き分けでもDeNAが連敗ならいずれの場合もM14が出る。

 ▼ヤクルト・高津監督(野村元監督と村上の18年の初対面を思い出し)本当に我々のお父さんくらいの年代の方なので、ムネはピンとこないかもしれないけど“今年入った村上です”って紹介した。西都の三塁ベンチが昨日のように思い出されます。

 ▽1963年の南海・野村克也 全150試合のうち148試合で4番を務め、シーズン最終戦だった10月17日の近鉄戦(大阪)の7回、山本重政から3ラン。最終打席でプロ野球新記録(当時)となるシーズン52本塁打を樹立した。打率.291、135打点で3年連続本塁打王、2年連続打点王を獲得。自身2度目のMVPに輝いた。

 ▽1985年のロッテ・落合博満 打率.367、52本塁打、146打点で82年以来となる2度目の3冠王。シーズン最終戦の10月21日の西武戦(西武)の6回、松沼博久の内角シンカーを捉えてシーズン52号を決めた。同戦では最終打席で右中間二塁打を放ち、当時の右打者のシーズン最高打率が確定。118得点、長打率.763などパ・リーグ記録(当時)を塗り替えた。

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