【内田雅也の追球】後悔あってこその人生 敗戦のボールが与えてくれる未来への糧

[ 2022年1月8日 08:00 ]

サヨナラ負けのボールを手に思い出を語る堅田外司昭さん(2013年7月4日撮影)
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 堅田外司昭さん(60)に連絡を取った。高校野球「最高試合」と呼ばれる1979年(昭和54)夏、箕島―星稜戦で、星稜のエースとして延長18回を投げ抜き、サヨナラ負けを喫した。

 敗戦後の通路で球審の永野元玄さん(85)に呼び止められ「もう一度、グラウンドを見ておいで」。振り返り甲子園に別れを告げた。試合での使用球を手渡された。

 有名な逸話を思い出したのは阪神ドラフト1位の新人投手、森木大智君(18=高知)が虎風荘に入寮する際、昨夏の高知大会決勝で敗れた際、球審から手渡されたボールを持参していたからだ。森木君は「悔しさをバネにがんばってほしいという気持ちが伝わった」と話したという。

 堅田さんはLINEで返事をくれた。「森木君と代木君はこれからも良き仲間、ライバルとしてがんばってほしい。将来、甲子園の阪神―巨人戦で投げ合うのを期待しています」。勝った明徳義塾エースの代木大和君(18)はドラフト6位で巨人入りしている。

 ボールについて堅田さんは「すごい試合の一員として恥ずかしいことはできないぞと叱咤(しった)激励してくれる」と人生の糧にしてきた。社会人野球からアマチュア野球の審判員となった。昨年夏の決勝を最後に甲子園大会から卒業した。

 審判員は野球の心を伝えている。以前も紹介した重松清の『終わりの後の始まりの前に』=『季節風 夏』(文春文庫)所収=で、主人公の球児は3年夏の地方大会で見逃し三振に倒れ、最後の打者となる。夏休みに時間をもてあまし、足が向いた球場で最後の判定をした球審に出くわす。

 「残酷だよな」と審判員が語りかける。「負ける学校を決めることが俺たちのいちばんの仕事なんだよ」。壮大なトーナメント戦は、全国優勝校を除き、誰もが等しく一度敗れて終わる。「でもなあ……悔しさや後悔のなんにもない人生っていうのも、それはそれで寂しいんじゃないかって、俺は思うけどなあ……」

 ボールを渡した永野さんは審判員になる際、日本高野連会長の佐伯達夫さんから「あんたはグラウンドで学校の先生の代わりができますか?」と諭された。教育者であれ。重い言葉を胸に30年の審判生活を全うした。

 永野さんにもLINEした。「飛躍への礎にしてほしい」と返信があった。すべての球児へのエールだった。 (編集委員)

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2022年1月8日のニュース