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阪神ドラ5・岡留の素質に気づいた2人の指揮官 高校、大学で飛躍のきっかけつかみプロの道へ

[ 2021年12月9日 05:30 ]

阪神新人連載「猛虎新時代の鼓動」5位・岡留(下)

沖縄尚学から亜大に進学し、フォーム改造に取り組んだ岡留

 小学生時代が父・邦英さんとの二人三脚なら、高校・大学の7年間は2人の恩師に支えられて彩られた。

 父の勧めもあり、兼城中3年時に沖縄尚学のセレクションを受験した。中学では軟式野球部に所属していたこともあり、球速は130キロ未満。課題だった制球難も改善されていなかったが、父に鍛えられた強じんな精神力で合格を手にした。

 だが、入学後は周囲との力の差を痛感する日々が続いた。甲子園大会で2度の選抜優勝を誇る強豪私学。ふと周囲を見渡せば、何もかもが違って見えた。

 「野球に対する意識の違いはあった。ランニングも練習の姿勢も、全部自分は意識が低いなと思った」

 練習についていくだけで必死だった。自信を失い、気持ちも沈んだ。それでも、歯を食いしばることができたのは、自分でも気付かなかった潜在能力を見抜いてくれた人がいたからだ。チームメートを通じて聞いた比嘉公也監督の「伸びる素質がある」という言葉に心は救われた。

 「今まで見てきて、直球で印象に残っているのは東浜(ソフトバンク)と岡留。着実に伸びていくと思っていた。いい加減なフォームだったけど、強くて重い球を投げていた。それを見た時に、無理させずに徐々にやっていけば、間違いないなと思った」

 確固たる信念の下、比嘉監督は育成プランを練り上げた。県内の1年生大会も含め、1年秋までは公式戦登板はなし。投球以外でもフィールディングやクイックモーションなど、一つ一つの課題に取り組ませていった。

 指揮官の指導方針を知らされていなかったことは、英貴にとってもプラスに働いた。「悔しい思いもあった」。公式戦で投げられなかったことで、冬場は徹底して下半身強化に励んだ。投球に必要な土台ができあがると、球速は10キロ上昇して140キロ台に到達。地道な努力が実を結び、2年秋には初めてベンチ入りを果たした。

 同年冬に右膝半月板を損傷して手術するアクシデントもあったが、3月に実戦復帰を果たした。3年夏の沖縄大会では初戦(2回戦)の那覇戦に先発。準々決勝・糸満戦でも先発を任されたが、8回に逆転され甲子園の道を断たれた。

 亜大に進学すると、さらなる転機が待っていた。1年夏。生田勉監督からの助言を受け、フォーム改造に着手した。英貴自身も「上体が反りすぎている」と感じていたこともあり、オーバースローからサイドスローへと転向。すると、成果はすぐに表れ、秋のリーグ戦でベンチ入りを果たした。6試合に登板して1勝1敗、防御率2・35。その後の躍進のきっかけをつかんだ。

 4年生となった今年の8月にも再度、フォームを見直した。大学最後のシーズンとなる秋のリーグ戦を前に、肘の位置を調整。スリークオーターとサイドの中間の位置から投げる、新たなフォームを確立した。挑戦は奏功する。リーグ戦では自己最多となる4勝をマークするとともに、防御率1・70はリーグ4位。変則から投げ込む150キロ近い速球が目に留まり、ドラフト指名を勝ち取った。父、そして恩師に感謝を示すために――。プロの舞台でも輝きを放つ。(長谷川 凡記)

 ◇岡留 英貴(おかどめ・ひでたか)1999年(平11)11月7日生まれ、沖縄県出身の22歳。兼城小1年から「兼城パイレーツ」で野球を始める。兼城中では軟式野球部。沖縄尚学では2年秋からベンチ入りも甲子園出場なし。亜大では1年秋にリーグ戦デビューし、中大2回戦で初登板初勝利。リーグ通算40試合6勝5敗、防御率2.91。1メートル80、87キロ。右投げ右打ち。

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