原辰徳にリベンジ、日本一支えた猛虎の仕事人左腕 16年ぶりVへ走る後輩へ極意と助言

[ 2021年6月8日 07:00 ]

猛虎の血―タテジマ戦士のその後―(10)福間納さん

<猛虎の血>首位を走る阪神ブルペン陣にエールを送った福間納さん
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 阪神が日本一に輝いた85年シーズンで「陰のMVP」と言われる働きを見せたのが福間納(69)だ。主に救援投手として58試合に登板し投球回は104回1/3を数えるフル回転でブルペンを支えた。今季もここまで首位を快走し2位・巨人に3・5ゲーム差を付け、16年ぶりのリーグ優勝へ突き進む猛虎。いまも野球に関わる左腕に優勝への極意を尋ねた。

 ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布を中心に強力打線の印象が強い85年の阪神だが、弱体と言われた投手陣を支えたのが福間だった。ワンポイント、ロングリリーフに先発も4度。登板試合数を上回る投球回数を投げ抜いた。「2、3回辛抱して投げてくれたら、逆転するから」という掛布や岡田の言葉が何度も現実になった。

 印象的なリベンジマッチが85年は2度あった。5月20日、後楽園での巨人戦だ。前日19日の試合で延長10回2死一塁からサヨナラ本塁打を打たれた原辰徳を7回2死一塁で打席に迎えた。交代かと思っていると、吉田義男監督から「ここを抑えんでどうする。逃げたら、おまんまの食い上げやぞ」とカツを入れられ、燃えた。右飛に仕留め、男を上げた。

 西武との日本シリーズでもあった。第4戦で同点の9回に決勝2ランを許した左キラー西岡良洋と第5戦の4回1死満塁で対決。遊ゴロ併殺に封じ、日本一に王手をかける勝利投手となった。「配球も含め、この2つの勝負は覚えている。よくぞ使ってくれたという思い。監督のひと言は大きいし、意気に感じた」。周囲がモチベーションを高めてこそ、修羅場に臨めるのだ。

 ドラフト1位でロッテに入団し1年目の79年に左肘を痛めた。原因となったのが当時、大流行したインベーダーゲームだった。「単身赴任での寮生活。結構、暇で喫茶店のゲームにはまってね」。左のレバーで位置をコントロールし、右ボタンで発射する。夢中になると左肘で台ごと持ち上げようとし過度の負担がかかった。3年目にトレード。だが、これが中継ぎ専念への転機となった。

 武器としたのがチェンジアップ。外国人選手からも面白いように空振りが取れた。「球は速くないから、変化球でストレートを生かすのが基本スタイル。腕を振って、緩い球を投げる。繰り返し練習してモノにした。回転数がないから、緩い球は飛ばない。そこが生命線だった」と一芸に磨きをかけた。

 「85年は点差も回数も関係なく出番が来た。ほとんどがランナーがたまったところでお呼びがかかる。開き直ってましたね。打たれても自責点には関係ない、の気持ち。抑えてやろうと思うと失敗するから。とにかく勝負は1人目。最初の打者をいかに打ち取るかをシミュレーションした。それができれば、後はなんとかなる」

 引退後は阪神、オリックスでコーチ、女子プロ野球の監督などを務め、現在もスポーツオーソリティで子供たちへの野球教室、社会人カナフレックスの投手コーチと野球に携わっている。85年メンバーの吉田監督、岡田らとの定期的なゴルフも続けている。「今年の阪神は強いと思う。交互にリリーフ陣を使って、終盤にゆがみが出ないように持っていくのがポイント。要所をしっかり抑えたら勝てるはず」。同じ左腕の岩貞、岩崎へレジェンドはエールを送った。(鈴木 光)

 ◇福間 納(ふくま・おさむ)1951年(昭26)7月13日生まれ、島根県大田市出身の69歳。大田3年時の69年選抜で甲子園出場。松下電器(現パナソニック)では都市対抗に8度出場。78年ドラフト1位でロッテに入団し81年4月に深沢恵雄とのトレードで阪神移籍。83年には救援中心に69試合に登板し規定投球回をクリアして最優秀防御率のタイトルを獲得。90年に現役引退し、その後は阪神、オリックスで投手コーチを務めた。通算451試合登板で22勝21敗9セーブ、防御率3・67。現役時代は1メートル75、69キロ。左投げ左打ち。

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