震災から10年 今、思うこと――高田高校野球部元投手&内野手「おとうの夢、農業やるよ」

[ 2021年3月10日 05:30 ]

吉田凜之介さん
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 【元投手、内野手・吉田凜之介さん(24=14年度卒)】

 オレ、農業をやることにしたんですよ。今はじいちゃん(税=ちから=さん)に教わって修業中です。本格的にやるのは4月からです。覚えることが多くて、オレの頭じゃ、なかなか…。楽しいけど難しい。肥料のやり方とか全然分からないけど、やりがいはあります。

 大学(桐蔭横浜大)卒業して盛岡で広告代理店の営業やってました。広告代理店っていっても病院回って、看板作りませんか?みたいな営業です。約1年間やってましたが、サラリーマンには向いてねえな、オレの仕事じゃねえなって。去年の夏に帰ってきました。

 昔からじいちゃんには「農業やんないか」って言われていたし、いずれ地元には帰りたいと思ってた。それとおとう(父・利行さん)が、いつかは(農業を)やってみたいと言っていたんです。おとうは(陸前)高田で団体職員として働いてました。
 震災のとき、オレは米崎中の2年でした。卒業式の前日で、地震が起きたときは、ちょうど掃除してました。中学では応援団長やってたりしたので、みんなを校庭に整列させたりしてたんです。グラウンドからは海が見える。津波が来るなって思ったら、やっぱり来た。

 学校は無事でした。体育館には近所の人たちが避難してきて、オレは米を炊いたりしてました。自宅には帰れたけど帰らなかった。一夜明けて帰ったら、じいちゃんとばあちゃん(エイ子さん)から“おとうが帰ってこない”って聞きました。市役所か、高田病院の屋上にいると思ってました。すぐに救助されるだろうって。いろいろ回ったんですが、全然…。まだ見つかってません。

 オレ、LINEのプロフィル画像におとうの若い頃の写真使っているんです。宴会のときか何かの。膝の上に乗せているのは、オレじゃなくて兄貴(心之介さん)です。最近よく「お父さんに似てきたな」と言われることが多くて。掃除していたら出てきた写真なんですが、見た瞬間「あ、これってオレだ」と思いました。

 最近、よくおとうのことを思い出すようになりました。農業やるようになったからですかね。いつかは農業をやりたいって言っていたから。応援してくれているんじゃないですかね。

 実家の真ん前にハウスがあって、露地もあります。全部で10アールぐらい。主に野菜作ってます。トマト、きゅうり、ほうれん草、とうもろこし、あとお盆のときの花。米も自家用の分だけは作ってます。陸前高田市の新規就農者向けの補助金をもらえるので、何とかやれるんじゃないかなあ。4月からは自分の名前で産直やスーパーに野菜を出せます。

 震災があって、高田(高校)で野球を思い切りやって、大学でも野球をやれた。去年(4月)、(骨肉腫で)亡くなった中井(諒さん、NTT西日本)選手は同級生です。仲が良くて、よく遊んでいたんです。ショックでしたね。病気のことを聞いた直後に亡くなってしまった。西武のドラフト1位の渡部健人は後輩です。打撃は凄いし、人柄もいい。成功してほしいです。全国に友達ができた。高校、大学と、つらいことも一緒に乗り越えた。人とのつながりができたことが、野球をやってきた一番の財産です。

 自宅は高台にあるんです。山の上だから、被災して、移転してきた人たちの家がどんどん建ちました。子供の頃は、リンゴ畑と山で遊んでばかりいたので、随分変わったなって思います。大学時代は年に2、3回しか帰省しなかったから余計に驚きです。

 ただでさえ、若い人がどんどん少なくなっている土地だから、地元に戻ってこられる環境を自分たちがつくらないといけないな、とも思っています。でもオレに何ができるんですかね。とりあえず農業を頑張ります。生まれ育った土地の土を触って生きていきます。(構成・田村 智雄)

 ▼柏航平さん(24=14年度卒、公務員) 何十年と続いていく街の復興を少しずつ進展させ、後世につないでいきたいという思いで書きました。

 ▼熊谷朋哉さん(24=14年度卒、会社員) 大工として高田の復興に携われていることに誇りを持ち、技術の向上に励みたい!

 ▼残間隆さん(24=14年度卒、会社員) 守るべき人ができました。子供と妻と、陸前高田で成長していきたいという気持ちで書きました。

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