野球殿堂「特別表彰」にアトランタ五輪代表監督・川島勝司氏 “最後のオールアマ軍団”率い銀メダル

[ 2021年1月15日 05:30 ]

野球殿堂入りしヤマハのピアノの前で笑顔の川島氏(撮影・光山 貴大)
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 野球殿堂博物館は14日、今年の殿堂入りを発表。特別表彰ではアトランタ五輪野球日本代表監督の川島勝司氏(77)と、ノンフィクション作家の佐山和夫氏(84)が選出された。

 川島氏は「選手として育ててくださった指導者、監督として私と戦ってくれた選手、スタッフ、多くの方々の支えがあった」と感謝した。浜松市のヤマハ本社から、オンラインで取材に対応。五輪で指揮した監督経験者では松永怜一氏、山中正竹氏、星野仙一氏に次いで4人目の殿堂入りとなった。

 96年のアトランタ五輪で監督を務めた川島氏は「日の丸の重圧に苦しみながら選手たちが頑張った」と代表団を改めて称えた。決勝のキューバ戦で4点を追う5回に主砲・松中信彦(新日鉄君津)が放った同点の満塁本塁打は「これまで経験したことのない感動だった」と振り返った。

 野球が正式競技となった92年のバルセロナ五輪以降、96年の銀メダルが最高成績。代表監督退任後はトヨタ自動車監督、日本野球連盟副会長を務めるなどアマを中心に球界の発展に尽力してきた。

 昨年開催予定だった東京五輪が延期となった。川島氏は「メンタル、技術面ともに維持が難しい局面もある」とコロナ下で戦う日本代表を気遣った。その上で「野球の素晴らしさを五輪で見せていただきたい。五輪の金メダルを心から願っています」とエールを送った。(君島 圭介)

 ◆川島 勝司(かわしま・かつじ)1943年(昭18)4月17日生まれ、栃木県出身の77歳。桐生高から中大を経て66年、日本楽器(現ヤマハ)入り。67、68年に都市対抗で2年連続優秀選手。68年に近鉄からドラフト2位指名を受けたが入団せず。71年に同部の監督に就任し、都市対抗最多タイとなる3度の優勝を果たした。88年ソウル五輪で日本代表コーチ、96年アトランタ五輪で監督として、銀メダル獲得。00年から3年間は、トヨタ自動車の指揮を執った。指導者を退いた後は、日本野球連盟の常任理事も務めた。

 ▼杉浦正則氏 我がことのようにうれしいですし、川島さんの下でプレーできたことは非常に光栄。力のあるメンバーばかりでしたが、個々に考えさせてプレーさせる。目標をしっかり持たせて線にまとめた。自分も監督(06~09年、日本生命)を経験しましたが、それができなかった。凄い監督だなと思います。
 決勝のマウンドはワクワクしました。当日朝の散歩中、「今日も行けるか」と言われたので「大丈夫です」と答えたけど、連投とは…。でもキューバに勝って金メダルを獲るのが僕の夢。残念ながら打たれましたけど、バックが追い上げてくれた。川島さんが唱えていた「アグレッシブ・ジャパン(激しく戦え)」は、最後まで貫けたと思います。(アトランタ五輪でエースとして準決勝、決勝戦に先発。現日本生命首都圏法人営業第1部法人部長)

 ▼大久保秀昭氏 96年のアトランタ五輪で川島さんの下で野球ができたことは、その後の野球人生で大きかった。やりやすい環境を常につくっていただきました。投手交代のタイミングなど、私の意見も聞いてくれたり、本当に選手を信頼して起用してくれました。

 後に聞いた話ですが、予選リーグで3敗したときに、川島さんは「予選で負けたら、日本に帰れないんじゃないかと思っていた」と言っていた。相当なプレッシャーだったと思います。私が監督になってみて、その重さに気がつきました。

 都市対抗で3度、チームを日本一に導いているように、勝負勘が凄い。私も監督として、川島さんに近づけるようにやっていきたいと思います。(アトランタ五輪で正捕手。現ENEOS野球部監督)

 ▼中日・福留(最年少19歳で出場)世界を相手に戦うチャンスを与えてくださった。日の丸を背負う意味や重みを体験できたことは、その後の野球人生にも生かすことができました。

 ▼ロッテ・井口監督 アトランタ五輪では今岡ヘッドと二遊間を組ませていただくなど思い出深い大会。あの時の経験を生かしながら優勝ができるチームをつくり、野球界を盛り上げていきます。

 ▼ロッテ・今岡ヘッドコーチ とにかく我慢をして起用していただいた。監督の期待に何とか応えたいという一心でした。当時の経験を生かしながら日々を過ごさせていただいています。

 ▼DeNA・川村投手コーチ 優しく見守っていただき安心して投げることができました。打たれても使い続けていただき、ボールの判定に一緒に悔しがってくれたこと、忘れません。

 ▼鈴木義信氏(川島氏のゲストスピーカー。88年ソウル五輪監督で、当時はヘッドコーチとして招へい)そばにいる存在感は本当に心強かった。(主砲の)松中君も“代表に選ばれ感謝してます”といつも話していた。

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