【内田雅也の追球】想起した「やればできる」 相手のトリック本盗で奮起した阪神の「ネバサレ」

[ 2020年11月6日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神8-7ヤクルト ( 2020年11月5日    甲子園 )

<神・ヤ24>5回無死、梅野は左中間にソロ本塁打を放つ(撮影・坂田 高浩)
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 あのプレーを見たのは38年ぶりである。似たようなトリック走塁は高校野球で何度か見た。ただし、あのプレーは、あの夏以来である。そして、プロ野球で見たのは初めてだった。

 2回表、阪神がヤクルトに決められたトリック本盗である。2死二、三塁で二塁走者が大きくリードを取っておとりとなり、投手からのけん制球を誘う。その間に三塁走者が本塁を奪うのだ。

 1982(昭和57)年7月30日、日生球場。高校野球夏の大阪大会準々決勝で大阪府立の春日丘が同年春の選抜優勝のPL学園を破った。決勝点があの本盗だった。

 5―5同点の9回表、1死一、二塁からバントで送ってまで2死二、三塁を作った。公立校が強者を破るために練習を積んだ秘策の決行だった。

 競合撃破の勢いに乗って快進撃。同校はそのまま大阪を制し、初の甲子園出場を勝ち取った。相当に話題を呼んだ。

 監督の神前俊彦は同校OBで当時26歳の会社員だった。情熱を傾け、選手たちに「やればできる」と繰り返した。著書、その名も『やればできるぞ甲子園』(徳間書店)で書いている。ちなみに絶版の同書はいま、アマゾンや古本店で2万数千円の高値がついている。

 <このPL学園戦の勝利は“やればできる”という信念を実証し、われわれに大きな自信を与えてくれました><勝因は“積極的に向かっていくこと”を実践したからだと考えます>。

 この夜のヤクルトにもその積極性があった。2回までの7点は幾らも果敢な走塁が絡んでいた。今季は最下位に沈んでいるヤクルトだが「やればできる」の反骨を見た気がする。

 その気概はやられた側の阪神にも乗り移った。エース西勇輝が失った7点を跳ね返したのだ。3回裏攻撃前の円陣で打撃コーチ・井上一樹は言った。「いつもがんばってくれている西のためにも取り返そうじゃないか」

 訴えた通り、チーム一丸となって4回裏の全員攻撃で西の敗戦投手を消した。そして何より反骨を見たのは5回裏の梅野隆太郎が放った決勝本塁打である。最近は痛恨の被弾を喫し、この夜も大量失点。リード面の苦悩もあったろう。

 7回表のピンチで救援した岩貞祐太もやり返した。2日前(3日)に決勝弾を浴びていた西浦直亨を一打同点で迎え、三振に切ったのだ。

 あの春日丘を率いた神前は64歳となり、京都共栄で監督を務める。いまも情熱は衰えていない。この夜、テレビ中継で見たトリック本盗に、あの夏の「やればできる」の興奮を思い返したとLINEで連絡があった。

 阪神もまた、思い起こしたい。「やればできる」は2003年、優勝に導いた星野仙一が選手に語りかけた姿勢だった。6点ビハインドを逆転した「あきらめない」姿勢は、当時のスローガン「ネバー、ネバー、ネバー、サレンダー」である。

 阪神にとって大切な合言葉を思い出させた、意味ある勝利だったと言えるだろう。=敬称略=(編集委員)

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2020年11月6日のニュース