【内田雅也の猛虎監督列伝(32)~第32代・和田豊】「本懐」遂げたCS巨人4連倒 「失意」の9月失速

[ 2020年5月22日 08:00 ]

12年10月25日、ドラフト会議で4球団競合となった1位指名の抽選で藤浪の交渉権を獲得し、ガッツポーズを決める和田監督
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 和田豊は1985(昭和60)年の入団以来一度もタテジマのユニホームを脱ぐことなく監督に就いた。他球団に所属歴がない生え抜き監督は98年退任の吉田義男以来14年ぶり。2001年に兼任コーチを務め引退。02年からは打撃、2軍総合、内野守備走塁、打撃とコーチを歴任していた。

 就任会見は2011年10月28日、リッツカールトン大阪。「現在の戦力に少しスパイスを加えれば、十分優勝争い、優勝ができる」と語った。

 <いずれは監督としてグラウンドに立ちたいとは常々思い続けていた>と監督初年度12年4月に出した著書『猛虎復活』(宝島社)にある。この意欲は監督には向いていないと自覚していた前監督・真弓明信とは違う。

 ただ真弓の下で打撃コーチでもあり、不振の責任も感じていた。10月23日、遠征先・広島で球団社長・南信男から就任要請を受け「私でいいんですか?」と問い返した。

 そんな葛藤を消してくれたのは妻の一言だったと先の書にある。「タイガースファンの私から見ても、パパがいいんじゃない」ファン支持の声として、気持ちの整理をつけての受諾だった。

 監督として強調したのは「一体感」だった。引退スピーチで裏方やファン、マスコミまで感謝の思いを語った和田らしい。スローガンに付した「熱くなれ!」は現役当時から聞いた、ナインに抱いていた歯がゆさだった。主将制を復活させ、投手で藤川球児、野手で鳥谷敬を指名した。

 迎えた12年3月30日の開幕戦(対DeNA=京セラドーム)。本紙・友成貴博が厳かで、熱い和田らしいハレの日を伝えている。<前夜はタイの尾頭付きと赤飯を食し、当日朝は広田神社を参拝した><試合前の出陣式では開幕オーダーと開幕ローテーションを自ら読み上げた。その後だ。控え選手の名前を一人ずつ挙げ、期待する役割を告げた。先発を漏れた面々へ向けて語りかけたのは全員で一丸で戦いたいからだろう。総力戦で引き分けた開幕戦はまさにそんな一戦だった>。

 一丸で臨んだシーズンは苦しい戦いだった。主力の高齢化、不振で借金20に上り、優勝した巨人に31・5ゲーム差の5位に終わった。金本知憲、城島健司が現役を引退。オフには藤川が海外FA権を行使し大リーグ・カブスに移籍。平野恵一がオリックスに移籍。新旧交代の端境期にあった。

 13年。ドラフト1位競合で自ら引き当てた藤浪晋太郎(大阪桐蔭)が新風を吹き込み、大リーグ帰りの福留孝介、西岡剛を加えた打線で6月には首位に立った。9月に入ると連敗が相次いで失速。2位とはいえ首位巨人とは12・5ゲーム差。クライマックスシリーズ(CS)第1ステージは3位広島に連敗で終えた。

 オフに韓国随一のクローザー呉昇桓(オスンファン=サムスン)、長距離打者のマウロ・ゴメスを獲得。契約最終年の3年目に挑んだ。

 14年。開幕ダッシュの後、6月は4位に沈んだが、7月に8連勝、8月末には首位巨人と2・5ゲーム差。しかし9月は6連敗を喫するなど前年に続き失速。球団内で進退問題が論議されはじめ、和田は9月23日、遠征先・横浜で球団首脳に「結果が出なかった場合は辞任します」と腹をくくった。後任には岡田彰布の復帰が検討された。

 球団では「2位なら続投」と判断基準を設け、推移を見守った。阪神は全日程を終え、2位争いは広島最終戦までもつれ込んだ。10月6日のマツダスタジアム。広島が勝てば2位、阪神は3位転落だった。果たして広島は1―4で敗れ、阪神は逆転で2位をかすめ取った。続投となり、10日にオーナー(電鉄本社会長)・坂井信也から留任要請。受諾を即答した和田は「無の境地」と言い、CSに向かった。

 第1ステージの甲子園で広島を下し、ファイナルステージの東京ドームに乗り込んだ。選手たちは、はつらつと投げ、打ち、走り、巨人を4連勝で下し、日本シリーズ進出を決めた。本紙・森田尚忠は<歓喜の輪をつくった選手たちを見つめるその目は、涙でにじんでいた>と和田の心中を思いやった。「いろいろあったシーズンだからね……」胴上げは辞退し、感慨にふけった。

 あの日、07年から続けるコラム『追球』で<ダメ虎が遂げた本懐>と書いた。和田をはじめ中西清起、山田勝彦、関川浩一らコーチ陣、南や中村勝広、高野栄一らフロント陣は皆、あの「暗黒時代」に苦い酒を飲んだ仲間だった。

 井上章一が『阪神タイガースの正体』(ちくま文庫)で指摘したように、阪神は過去(2リーグ制以降)、巨人と争って優勝したことがない。62、64、85、03、05年の優勝時、巨人は3位以下と沈んでいた。打倒巨人での優勝は<阪神ファンの忠臣蔵幻想として残存>していた。打倒巨人でのCS“優勝”で仇(あだ)討ちを果たしたのだった。

 日本シリーズはソフトバンクに初戦勝利の後4連敗と跳ね返された。

 迎えた15年は球団創設80周年だった。優勝候補にもあげられ、6月から8月末までは首位に立っていた。しかし、3年連続で9月に入って失速。首位を争うヤクルト、巨人に連敗を重ねた。

 ゼネラルマネジャー(GM)・中村勝広が「優勝への天王山」と語った9月22日の巨人戦(東京ドーム)も零敗。同夜、中村は妻への電話で「初めて悔し涙がこぼれたよ」と漏らした。ホテルの部屋で独り、ビールを飲み、おにぎりを食べ、眠りについた。再び目覚めることはなかった。死因は脳出血。23日未明に息を引き取ったとみられる。66歳だった。

 和田は23日、東京ドームでサヨナラ負けの後、悲報を知らされた。同郷千葉の先輩、入団時の2軍監督、92年快進撃時の監督。「気持ちの整理がつかない」と悲痛な思いだった。

 再び進退問題が浮上していた。和田は辞意を胸にCSに臨み、敗れた。座右の銘「失意泰然」を監督就任で「泰然自若」と改め戦った4年間だった。「優勝できなかった」と「失意」を抱き、31年間着続けたタテジマを脱いだ。=敬称略=(編集委員)

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