【内田雅也の猛虎監督列伝(24)~第24代 村山実】激情家の「11」を襲った相次ぐ事件

[ 2020年5月14日 08:00 ]

1987年10月16日、吉田前監督の自宅を訪れ会談し、傘を差してもらい帰りの車に乗り込む村山新監督
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 村山実が現役時代に建てた芦屋のマンション11に電話が入ったのは吉田義男解任から2日後、1987(昭和62)年10月14日、朝8時だった。球団社長・岡崎義人は言った。「ムラ、頼むわ」

 村山は「正直怖い」と言った。「8時間も役員会で会議した、その中に飛び込むのは怖い」。激情家、熱血漢は泥にまみれ、ボロボロになると予感していた。投手兼任で青年監督だった69―72年、本社・球団との間で傷つき、去って行った記憶が刻まれていた。

 岡崎は同じ日、東京・世田谷にいる田宮謙次郎に電話し、ヘッドコーチを要請。村山の意向はさておき、先に田宮就任が内定していたわけだ。

 要請を受諾した村山は「ブチ、ユタカ、タイラも帰ってこい」とかつての弟分、江夏豊、田淵幸一、藤田平に呼びかけた。だが球団の意向もあり、どのコーチも実現しなかった。田淵とは急きょ上京し、深夜11時から東京プリンスホテルで会談。「トラ番も入ってくれ」と番記者同席で「昔の阪神ではない」と口説いた。田淵は「村山タイガースなら受けるが」と、深夜のトレード通告の心の傷痕が残っていた。

 藤村富美男、不仲や確執も伝えられた吉田の自宅にあいさつし、永久欠番「11」を背負った。

 迎えた88年。戦力は衰え、村山は若返りを進めた。実績のない大野久、和田豊、中野佐資をジャニーズの3人組になぞらえ「少年隊」と名づけ、開幕から1、2、7番で使った。開幕4連敗の後、甲子園での巨人戦で中野がプロ初打点の決勝打を含む3安打を放ち、初勝利となった。会見中「中野がよく打った……」と突然席を立ち、あふれる涙をぬぐった。

 5月3―5日に東京ドームで巨人に3連勝、2位浮上が頂点だった。直後の6日、グラウンドに田宮とランディ・バースの姿がなかった。

 田宮は左足太もも肉離れでベンチを外れて治療に専念。6月15日には辞任にいたった。村山との関係が悪化していた。

 同時期、岡崎に代わり球団社長には本社副社長の見掛道夫が就いた。

 バースは水頭症(脳腫瘍)を患った8歳の長男に付き添った。米国での治療にも同行し帰国は遅れた。球団は6月27日に解雇を通告した。

 7月14日には掛布雅之が登録抹消となった。腰痛などの2軍調整だが、村山との関係悪化で引退を決意していた。

 さらに19日、球団代表・古谷真吾が自殺した。オーナー会議出席後、ホテルニューオータニの非常階段から身を投げた。6月に球団本部長から昇格し、難航するバース契約問題で渡米交渉するなど心労が蓄積していた。

 成績は2年連続の最下位。優勝の中日に29・5ゲームの大差がついた。

 元号が平成となった89年6月25日、巨人戦(甲子園)で岡田彰布が逆転満塁弾を放ち、5―4で勝った。新人の村山が長嶋茂雄にサヨナラ弾を浴びた天覧試合から30年、同じスコアでの雪辱だった。村山は前年、東京遠征中の9月25日朝、皇居坂下門で昭和天皇の病気平癒の記帳を行っている。「あの天覧試合が原点」との思いがあった。

 成績は1年目より上向いていたが、村山は辞任に追い込まれる。留任を示唆していたオーナー(電鉄本社社長)・久万俊二郎が9月4日「白紙」と発言。翌日「ジャジャ馬やスター監督ではなく、実務型が望ましい」と追い打ちをかけた。

 水面下で一枝修平擁立が進んでいた。新聞記者の黒幕が絵を描き、球団代表・高田順弘も密会していた。13日に一部報道で表面化したが、村山は15日「オレは辞めん」と続投意欲を示した。本紙・大西禧充には「あと400日あれば再建のメドが立つ。オレが泥をかぶり後任に引き渡す」と打ち明けていた。

 ところが2日後の17日、村山は甲子園での試合前、高田に辞意を伝えた。一枝内定を知ったのだろう。肩の荷を下ろしたか、表情は和らぎ、目の下の隈が消えていた。

 同夜、村山辞任を聞いた一枝は「え!?」と絶句した。19日、黒幕に要請辞退を伝え、20日朝、実家が経営する大阪・なんばのホテル一栄に記者を集めた。「監督をやる自信はない。第三者の言いなりになるような球団ではやっていけない」

 本紙・近藤健の「もう最後の切り札しかない」との予感通り、25日夜、中村勝広(本紙評論家)の自宅に電話が入った。長年、中村に寄り添った近藤は「ついに来たか」と感慨を覚えたという。

 26日、見掛、高田がスポニチ大阪本社にあいさつに訪れた後、中村に監督を要請し内諾を得た。シーズン中ながら、水面下でなくクリーンな交渉を示そうとしてか、ホテル阪神で行った。

 全日程終了後の10月18日、ホテル阪神で村山の辞任、中村の就任が同時発表された。円満な監督交代は村山たっての希望だった。ひな壇に並び、笑顔で「体に気をつけてがんばれよ」と握手を交わした。=敬称略=(編集委員)

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