木村拓也さんが魅力伝えたプロ野球 コロナ禍でも球史を未来につなぐために…

[ 2020年4月25日 09:00 ]

09年、急きょ捕手を務めた木村氏(右)は原監督に握手で迎えられる
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 今でもはっきりと思い出すことができる。両軍ファンの天国に届けとばかりの大歓声。そこには勝敗を超えた感動があった。10年前の2010年4月24日。09年限りで現役を引退して指導者となったばかりで急逝した巨人・木村拓也さん(当時内野守備走塁コーチ)の追悼試合(巨人VS広島、東京ドーム)は公私ともに仲が良かった谷佳知氏(47=現野球評論家)が8回に代打で決勝の逆転満塁弾。記者人生で最も印象に残る試合だった。

 突然の悲しい別れは20日前の4月2日。木村さんはマツダスタジアムで行われた古巣でもある広島戦で、試合直前のシートノック中にくも膜下出血で倒れた。意識は戻ることなく同7日に入院先で死去。37歳だった。日本ハム、広島、巨人を渡り歩いた苦労人。投手以外の全ポジションを守り、巨人では07~09年のリーグ3連覇に貢献した。語り継がれるプレーは09年9月4日のヤクルト戦(東京ドーム)だ。阿部、鶴岡を使い切り、ベンチ入り最後の捕手の加藤が延長11回に頭部死球を受けると「俺しかいない」と決意し、ブルペン捕手からプロテクターを拝借。12回に自身10年ぶりとなる捕手で出場した。

 少しでも捕球を失敗すれば左手を故障するリスクがあった。当時の原監督はこう語っている。「左手をケガさせたくないから、最初は直球が綺麗な投手を出した。そうしたらタクは難なく普通にプレーしている。だから、もう普通のキャッチャーと考えて継投しようと思った」。綺麗なフォーシームを投げる右腕・豊田で1アウトを取ると左腕の藤田、そして再び右投手の野間口と継投し、見事に無失点。球団史上最大のピンチを救って価値ある引き分けに持ち込み、チームはリーグ3連覇に向けて加速した。

 あれから10年が経過した。木村さんが身をもって魅力を伝え、歴史をつないだプロ野球は新型コロナウイルスの猛威にさらされている。当初の開幕だった3月20日は延期され、現在は6月中旬以降の無観客での開幕を目指している。どんな決断にも賛否両論は出てくるだろう。選手はもちろん、全ての関係者たちが「プロ野球」を未来につなぐために苦悩している。(記者コラム・山田忠範)

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