長嶋茂雄の引退試合から1カ月…日本の王が世界の王に挑んだ

[ 2020年4月13日 09:00 ]

1974年11月2日、ハンク・アーロン(右)と笑顔で握手する王貞治
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~ON編~】昭和、平成の名場面や名勝負をスポニチ本紙所蔵の秘蔵写真からお届けする「Lega―scene(レガシーン)」。今回は1974年11月2日に後楽園球場で行われた日米ホームラン競争。日本記録保持者の巨人・王貞治が世界記録保持者のハンク・アーロン(ブレーブス)に挑んだ世紀の対決で、2人が握手を交わした一枚です。

ONの「O」が
「世界の王」となる。
それを象徴する一枚だ。

長嶋茂雄の引退試合から1カ月後。
74年11月2日、同じ後楽園球場で
王貞治とハンク・アーロンの
日米本塁打競争が実施された。
この年、アーロンは
ベーブ・ルースが持つ通算本塁打の
世界記録を塗り替えていた。

「俺は胸を借りる側だ。
負けて元々の心境だよ」。
世紀の対決に臨む前、
王が漏らした言葉は本音だろう。
当時、40歳だったアーロンの
通算本塁打は「733」。
34歳の王は「634」だった。

日米頂上対決は10本塁打を放った
アーロンが、1本差で王を制した。
前日に来日し、借り物のバットで
出した結果も立派だが、
王には米国人審判がファウルと
判定した微妙な打球が2本あった。

アーロンは「34歳の年齢を考えれば、
王は800本くらい打つだろう」
と予言。その3年後、王は
アーロンの世界記録を破り、
40歳で引退するまで
868本塁打を積み重ねた。

この対決で生まれた
日米本塁打王2人の友情は、
今も続いている。
(敬称略)

 《1974年11月2日 日米親善野球第6戦前に開催10-9》全日本対メッツの日米親善野球第6戦前に行われた世紀の対決。後楽園には5万人の大観衆が集まり、フェアの5打球ずつで4ラウンドを行った。先攻は王。「後からではやりにくい。先に気楽に打ちたかった」と1ラウンドで3発を放ち、2発のアーロンをリードする。2ラウンドを終えて6本ずつで並ぶ大接戦。明暗を分けたのは3ラウンドでアーロンが3発を放ち、1発の王を突き放した。10―9で競り勝ち「非常に気分が良かった」とアーロン。この対決のギャランティーはアーロンが5万ドル(当時約1500万円)、王が2万ドル(同約600万円)だった。

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2020年4月13日のニュース