ソフトB島袋 単身サラリーマン生活 いつか故郷の沖縄に帰って甲子園の頂点へ

[ 2019年12月11日 09:30 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(10)

5年間で1軍登板わずか2試合に終わったプロ生活を「悔いはない」と振り返った島袋
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 戸惑いの連続で、一日があっという間に過ぎていく。サラリーマンとして第二の人生をスタートさせた島袋は「野球とは全然違う疲れ方ですね。覚えることが多くて大変です」と苦笑いした。

 入社したのはサポートギアなどを扱うメーカー「アスリートビジョン」。販売員として東京、横浜の店舗で働いている。「僕がプロに入ってから肘のサポーターなどを使わせてもらっていた。興味がある分野だったので、決めました」と話した。

 生活拠点を東京に移し、妻を沖縄に残しての単身赴任生活。「通勤時間の満員電車が本当に苦手」と、朝は自宅を出る時間を早め、各駅停車の電車で座席を確保する。食事面の苦労も多いが「米だけ炊いて、総菜を買っています」。学生時代にアルバイト経験もなく、パソコンの使い方から学んだ。「エクセルって何だろう」というレベルからのスタートだったが、メールや資料のプリントアウトなどはこなせるようになった。

 興南では10年にエースとして甲子園春夏連覇の立役者となり、沖縄は「トルネード旋風」に沸いた。中大を経てソフトバンク入り。プロでは1年目に2試合に登板したが、2年目以降は1軍に呼ばれることはなかった。「春夏連覇がなかったら、あの後の僕はなかった。プロでは結果が出なかったけど、悔いはない」と5年間のプロ生活を振り返った。

 将来の夢は、故郷の沖縄で野球の指導者になることだ。興南の我喜屋優監督からは「(指導者の)道の中に興南もあるよ」とエールを送られたという。プロでは左肘を手術するなど、リハビリ生活も経験しただけに「プロで教わったことがたくさんある。指導者になれば経験したことを言ってあげることができる」と自身の体験談も指導に生かす構えだ。

 11月に一度、沖縄に帰省し、故郷への思いを再確認した。「僕にとって沖縄は特別な場所。甲子園は想像はできないけど、やるなら上を目指していきたい」。まずはサラリーマンとして野球以外の世界を勉強し、視野を広げる。そして、母校を率いて甲子園の頂点へ。島袋の新たな挑戦が始まった。(川島 毅洋)

 ◆島袋 洋奨(しまぶくろ・ようすけ)1992年(平4)10月24日生まれ、沖縄県出身の27歳。興南では10年に甲子園春夏連覇。中大から14年ドラフト5位でソフトバンク入り。17年に左肘の手術を受け、同年オフに育成選手として再契約。今季ウエスタン・リーグで3試合登板、1勝0敗、防御率6・00。1メートル74、76キロ。左投げ左打ち。

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