一番ケンカした…張本氏 金田さんを悼む「私の中では世界一の大投手」

[ 2019年10月7日 05:30 ]

金田正一さん死去

(左から)金田正一氏、張本勲氏、王貞治氏
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 【張本勲氏 金田さんを悼む】まさか…。突然の訃報に驚いている。カネさんと最後に会ったのは今年の6月、広島県の廿日市で行われた宝くじスポーツフェア・ドリームベースボールの野球教室だった。その時はお元気で、その後、具合を悪くして入退院を繰り返しているというような話を聞いていた。14日に神奈川県大和市で開かれる教室はどうされるのかなあと思っていたんだ。

 巨星墜(お)つ…。胸が痛い。野球界で一番ケンカしたのが私じゃないか。カネさんがロッテの監督で私が日拓、日本ハムの選手だったときや、名球会でも。カネさんは「こいつがいつも俺に突っかかってくるんや」と周りに話していたけど、兄弟ゲンカみたいなもので、それがもうできないと思うと寂しいよ。

 カネさんと初めて会ったのは私が18歳のときだった。東映(現日本ハム)入団1年目の1959年3月、鹿児島でのオープン戦。国鉄(現ヤクルト)のカネさんは26歳にして大投手。同じ在日ということで食事をごちそうしてもらった。

 初めて対戦したのは私が20歳のとき、川崎球場のオールスターだった。初球の真っすぐを空振りしたら、カネさんはマウンドを下りてきて「ハリ、もう1球同じ球いくで」と予告。イチ、ニ、サンで振りにいったけど、バットにかすりもしなかった。3球目は2階から落ちてくるようなカーブだった。

 3球三振。あんなに速い球は見たことなかった。キャッチャーの土井淳さん(大洋=現DeNA)に「パ・リーグにはこんな速いピッチャーいないだろ」と言われたのを覚えている。その後、日米野球で来たトム・シーバーやフアン・マリシャルとも対戦したけど、カネさんの方が速かった。大リーガーは遊びで来ていても、真っすぐは真剣に放っていたからね。

 私の中では世界一の大投手。いつかあの世で対戦して、あの真っすぐを打ちたい。

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2019年10月7日のニュース