【兵庫】「最後までやって良かった」2人残った3年生に笑顔と涙 1年間全敗で終えた甲陽学院

[ 2019年7月10日 16:11 ]

第101回全国高校野球選手権兵庫大会 1回戦   甲陽学院0―8伊丹北 ( 2019年7月10日    G7スタジアム(神戸サブ球場) )

<伊丹北-甲陽学院>7回裏1死、高校最後の打席で安打を放った甲陽学院の主将・山中(10日、神戸サブ球場)
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 最後だと思い込めて振ると、打球は右中間に落ちた。0―8の7回裏1死、甲陽学院の主将、4番の山中晨史(てるふみ)は一塁上、1度だけ右こぶしを三塁側自軍ベンチに向けて掲げた。小さなガッツポーズと白い歯があった。

 次打者の三ゴロ併殺で、山中は二塁上でゲームセットを迎えた。7回コールドゲームだった。すべり込んで、立ち上がり、本塁をはさんでの整列に向かうと、涙がこぼれ出た。

 「泣かないでおこうと思ったのですが、無理でした。涙が出てきてどうしようもなかった。悔しさ……もありますが、こんなきれいな球場で、応援もたくさん来てくれて……。最後までやり切ったことで達成感があったのだと思います」

 自分をたたえるような思いもあったろう。「苦しくて辛い日々でした」と正直に言う。

 3年生は2人だけだ。高校入学当初6人いた同級生は徐々にやめていった。昨年夏、新チームとなり、主将に就いた同級生も12月に退部していった。この時「自分もやめようと思った」そうだ。「なかなか勝てないし、モチベーションも下がったままだった」

 もやもやした気持ちのまま、踏みとどまった。オフシーズンの間は主将不在。2月になって新主将に就いた。

 もう1人の3年生、遊撃手で、この日は投手で救援登板もした江原康平も「僕は一度、やめているんです」と打ち明けた。1年生のころ、2日ほど、練習を休んだ。野球は上達せず、勉強との両立に悩んだ。「おもしろくなくなっていた。野球を考えるのが嫌になった」。両親が説得して、再びグラウンドに戻ると、権浩一監督(58)が「二度とやめるなよ」という約束で「また受けいれてもらえた」。いま、高校野球を終えるにあたり「続けていれば……と後悔したくなかった。監督さんには感謝しています」と話した。

 「監督さんの求めるレベルと自分のレベルが違い過ぎて迷惑かけたけど……。でも最後の1年間は“1、2年生もいるのに、3年生が下手でいいのか”とがんばりました」。この日は三遊間寄りのゴロを好捕し、体勢を崩しながら、二塁封殺する美技もあった。
 昨秋2試合、今春と公式戦3試合はすべて10点差の5回コールド負けだった。この日は8点差で7回までやれた。江原は「9回までやるのが目標だったけど」と言うが「僕たちにとって今日の最後が一番いい試合だった」と胸を張る。

 実は練習試合も全敗で1年間1勝もできずに終わった。それでも山中は「最後は楽しかった。なかなか楽しめなかったけど、今日は楽しくプレーができました」と涙をふいた。

 多くが東大や京大に進む全国でも有数の進学校だ。3年生2人も京大志望という。

 スタンドには誇らしく「目指せ 2度目の全国制覇」の横断幕が掲げられていた。かつては強豪校だった。1923(大正12)年の第9回全国中等学校優勝野球大会(今の全国高校野球選手権大会)で優勝を果たした。全国制覇を記念し、紺のストッキングにも白い一本線が入っている。全国大会出場は春8度、夏4度。野球部は1917年創部で102年目を迎えている。

 権監督はOBで、慶大でも最後までやり通した。1999年秋に就任し20年目を迎えている。最後のミーティングで「あんなに下手だった3年生は格段にうまくなった」とたたえ、ねぎらった。

 「いろんな思いがあるだろうが、最後までやった感想を言えるのは、最後までやり切った者だけだ。途中でやめた者は逆に“続けていれば……”と想像はできるが感想は言えない。それは後悔でしかない。3年生は自分たちが最上級生となり、チームのかじ取りもしてきた。人間的にも激変した」

 試合は惨敗だったが最後まで敢闘した3年生には賛辞を送った。

 東大監督、プロ野球コミッショナー参与も務めた神田順治氏(故人)は「香り高い野球」を掲げた。著書『野球にはあらゆることがあてはまる』(ベースボール・マガジン社)などで勉学との両立、文武両道を実践する姿勢を説いた。

 甲陽学院の3年生コンビには、そんな香りが漂っていた。 (内田 雅也)

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