野球という仕事 佐藤貴規を支え続けた兄・由規との絆

[ 2016年12月12日 09:00 ]

13年、ヤクルト時代の弟・貴規(右)と由規
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 【君島圭介のスポーツと人間】そのLINEは驚くような長文だった。11月12日、12球団合同トライアウト受験日の朝。佐藤貴規のスマートフォンが鳴った。会場の甲子園球場へ向かう途中。そこには兄・由規からの激励メッセージがびっしりと書き込まれていた。

 「あれほどの長文は2度目でした。1度目は僕がヤクルトを戦力外になったときです」

 兄のLINEにすぐ返信はできなかった。名文でも特別な言葉があるわけでもない。だが、家族の強い絆は無料通信アプリでは収まり切らないものがあった。

 兄の強引な説得で始めた野球。仙台育英時代に甲子園で活躍し、ヤクルト入団という経緯も同じだが、貴規は育成契約のまま在籍4年目の14年オフ、戦力外通告を受けた。2軍では打率3割超をマークするなど強打の外野手として活躍したが、とうとう支配下登録されることはなかった。

 現役引退も考えた。そのとき、兄から最初の長文LINEが届いた。『もう1回野球をやって、俺を奮い立たせてくれ』。ただの励ましではない。由規もまた辛苦を味わっていた。10年に当時日本人最速の161キロを記録したが、11年に右肩の腱板損傷が判明。貴規が戦力外となった14年シーズン、由規は3年連続の1軍登板0に終わっていた。兄にも弟の存在が必要だった。

 ヤクルト退団後、貴規は最初のトライアウトに参加。契約は決まらなかったが、ルートインBCリーグの福島ホープスに所属しながら翌年も挑戦。2度目も声はかからなかったが、福島では2年連続打率3割超を記録。やれるという自信があった。由規はその間、一度育成枠に移行されながら支配下に復活すると今年9月24日の中日戦(ナゴヤドーム)で1786日ぶりの1軍勝利を挙げた。

 3度目のトライアウト受験を決めた貴規は、高校時代のチームメートに質問された。「ファンがひとりもいなくて、家族も応援してくれない。それでも野球を続けるか」。その問いかけが胸に刺さった。じっくり考えた末、貴規は「たぶん続けていない」と答えた。

 精根尽きかけたマラソン走者が最後の一滴までエネルギーを振り絞れるのは沿道の声援があるからだという。

 甲子園で1安打1盗塁の結果を出した貴規だが日本野球機構(NPB)の球団から声はかからなかった。その後、区切りをつける意味で福島を退団した。野球を続けるか、貴規はまだ迷いの中にいる。受験に向け、ノックを打ち続けてくれた兄の姿が頭をよぎった。次に立つのは沿道になるかもしれない。だが、兄にとっての最高のファンでいる。それだけは絶対にやめるつもりはない。(専門委員)

 ◆君島 圭介(きみしま・けいすけ)1968年6月29日、福島県生まれ。東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉は高校の大先輩。学生時代からスポーツ紙で原稿運びのアルバイトを始め、スポーツ報道との関わりは四半世紀を超える。現在はプロ野球遊軍記者。サッカー、ボクシング、マリンスポーツなど広い取材経験が宝。

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