夢を追い続ける元オリックス馬原さん 変わらない直球勝負な生き方

[ 2016年9月14日 10:55 ]

元オリックスの馬原孝浩さん

 9月上旬にあったオリックスの博多遠征の際、小倉で途中下車した。職場放棄したわけではない。どうしても、ある『学生』に会いたくなったからだ。久しぶりの再会に少しドキドキしたが、私を見つけ「お久しぶりです」と寄ってきた顔は、あのときと同じ柔和なものだった。

 馬原孝浩さん。「さん」をつけるとむず痒くなるが、日本歴代7位の182セーブを誇る、あの馬原だ。電話で取材を申し込むと快く了承してくれた。マウンドを降りると、いつもこんな優しい表情だったのが懐かしい。

 オリックスを退団し、昨年12月に現役を引退。野球解説者や講演会の依頼も多々あったが、全て断り、4月から「九州医療スポーツ専門学校」に入学した。柔道整復師と鍼灸師の国家資格取得を目指して猛勉強中。地元の福岡ではテレビや新聞などで取り上げられているようだが、大阪まではその情報は伝わってこない。だから会って、直接聞きたくなったわけだ。

 「今、人生で一番勉強していますよ」。そう言って笑った馬原さんは、同校の夜間部の授業を受講。月~土曜日まで毎日3時間の講義のため、自宅から学校のある北九州市まで車で片道1時間半、往復すると210キロある道のりを通っている。個人トレーナーをしてもらった方らの縁で同校に入学したが、授業料より交通費の方がかかるというのが、いかにも誠実な彼らしい選択だった。

 「資格取得まで3年。とにかく3年、頑張ろうと思っています。夜に学校に通って、昼間に復習して、試験前はずっと勉強していますよ」。聞けば、かなり膨大な勉強量のようだ。200ページ超の教科書は10何冊もある。それでも、満点近くをたたき出し1位だったテストもあるというから、さすがだ。

 夜間部は、未成年から70歳前後まで幅広い年齢層がおり、仕事をしながら勉強する人もいる。机に並べば元プロ野球選手の肩書きは通用しない。だが、「プライドを捨てないといけないでしょうね」と話す顔を見て理解できた。とにかく、勉強したいという情熱に満ちあふれているのだ。

 「将来、トレーナーになりたいんですか?」と聞かれるらしい。それは違う。「なんていうか、自分にしかできないことをやりたかったんです」。そう切り出すと、現役時代の苦労から、今の率直な気持ちまで全てを語ってくれた。

 ソフトバンクで一時代を築いたクローザーだが、けがに泣かされた時期も長かった。07年にはチーム事情で4イニングを投げたことがあった。先発の4イニングではない。状況によっては連投しなければいけないクローザーにとって、4イニングは体にかかる負担は尋常ではなく、常識では考えられない。その日を境に体の異変が取れなくなった。「それからは、1球も自分の思うように投げられなくなった」。蓄積された違和感は、08年の右肩炎症、さらに12年の右肩手術へとつながっていった。

 しかし、そんな苦しみを周囲には見せなかった。通算記録でいうと07年までは158試合に登板し89セーブ。一方、08年以降は227試合で93セーブ。全く遜色がない。そして13年、オリックス移籍1年目の3月。運命を変える負傷を負った。「右鎖骨下にある腕神経叢の炎症」。日本球界では聞いた事がなく、メジャーリーグでも数例しかない症例だ。ケガの回復につながればと英語の文献まで取り寄せて研究したが、右腕のしびれは消えず。何カ所も治療院を回ったが、良くなる気配は一切なかった。

 13年オフは個人トレーナーと二人三脚で、マッサージやストレッチなどを追求した。毎日5時間、3~4カ月を費やした。迎えた14年。「一日でもトレーニングを抜くと、投げられない日々だった」という中で、自己最多の55試合に登板。選手生命の危機から、見事にはい上がった。ちなみに「右腕のしびれは、今でもなくならない」と右腕を見せてくれた。人間の体の限界を超えていたのかもしれない。体のことを、もっと勉強したくなったきっかけだ。

 究極の目標は「自分の体でいろいろ研究すること」だという。「これまで試合で答え合わせをしてきた。それがぼくの強みですから」。確かに投げられないはずの体で150キロを投げ、182セーブ挙げた柔道整復師や鍼灸師はどこにもいない。将来、治療を受ける現役選手のために、自らの体を使って研究するというのは私の想像を超えていた。今は心理学などにも興味があるという。「いろんなことを独学で勉強しないと。体を触れられる側の心理も絶対に大事ですから」。とことん突き詰める生き方は、現役時代と全く変わっていなかった。

 正直、いつかはユニホームを着た指導者の彼と、グラウンドで会えると思っていた。ふと、昨年9月の、あのときのことを思い出した。左膝のケガがあった馬原に対し球団は年俸1億3500万円(推定)からの1億円以上のダウン提示。戦力外通告と受け取った馬原は退団を決意した。神戸を去る直前、無理だと分かっていたが、「辞めないでほしい」とストレートに思いをぶつけたことがあった。それでも、彼は静かに思いを語った。

 「別にオリックスに恨みなんてないんです。仕方のない事情があるんでしょう。ソフトバンクでクローザーになって、結果が出なくなったときは、辞めるときと決めていたので」

 バカなやつだ。あれだけ頑張った14年オフに、複数年契約を結んでおけば、こんな事にはならなかったのに。ソフトバンク時代のインセンティブ(出来高)契約も自ら放棄し、1年勝負という信条を曲げなかった。もっとバカなのは、オリックスだ。こんな人材、望んでも2度と手に入らない。FAの人的補償で獲ったとはいえ、これも縁。特に、若くてケガに悩む選手には、いいアドバイスを送れただろうに。どんな形でも、チームに残す形はなかったのか。あの時、神戸を去っていく馬原の後ろ姿を見て、無性に寂しくなった…。

 話に引き込まれて、ついつい長話をした。気がつけば、隣で女子会していたグループもいなくなり、入店したときの喫茶店の客は大半が入れ替わっていた。しかし、あれから1年近く経ったが、直球勝負な生き方は変わっていない。

 「野球界に残ろうという選択肢はなかったですね。とにかく、自分に時間を使いたかった。でも、資格を取ったからといって、ビジネスとか儲けたいとは思わないんです」

 話を聞けば聞くほど、将来像が見えなくなった。じゃあ、何を目指しているの?

 「今は考えるべきではないと思っています。これから2、3年で自分がどう思うか。この思いを、将来どう解き放つか。良い話も悪い話もあると思いますが、自分が未熟では一番良くないのかなって。でも正直、今は考える余裕もないんですよ。勉強が本当に忙しくて」。

 ゴメンね。勉強の時間を割いてもらって。そう謝り、握手をして別れた。

 野球選手には時々、年下だけど素直に尊敬できる男がいる。馬原孝浩が、そうだ。5年後、10年後、いやもっと先、どうなっているのか。私も彼の夢を追い続けたいと思っている。(オリックス担当・鶴崎 唯史)

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