広島 ドラフト“正常化”で「発掘」と「育成」の両輪形に

[ 2016年9月14日 07:32 ]

10日の巨人戦で優勝を決め、黒田(左)と抱き合う鈴木球団本部長

 【25年ぶり鯉のぼり3】07年から大学・社会人の1巡目入札抽選が復活すると、広島のドラフト戦略は大きく変わった。リスクを避ける単独指名ではなく、競合を恐れず1巡目の抽選に参加。福井優也、野村祐輔、大瀬良大地ら即戦力投手の獲得に成功した。

 もともと清貧を貫く広島には素質を見抜く眼力と使って育てる土壌があった。2度の日本一に輝く1980年代の繁栄は、その産物だ。有望選手獲得に裏金が動く異常な状況が解消されると、戦力増強への“両輪”は再び正常に動き始め、次第に形になっていった。

 たとえば、松本有史(現役時は奉文)は地方リーグの岐阜で中京学院大の菊池涼介を見つけ、尾形佳紀は二松学舎大付で投手だった鈴木誠也の打者としての素質を早くから見抜いた。両スカウトとも“不遇”とされた時期のドラフトで入団した元選手。身を粉にし、次代の戦力になり得る素材を追いかけた。

 09年に新球場が完成、企業努力で資金力が高まると、FA戦線にも初参戦した。10年オフの内川聖一。獲得はならなくても世間は“あの広島が”と驚きを持って受け止めた。「マネーゲームはしないが、本当にいい選手なら獲りにいく気持ちは常にある」。常務取締役球団本部長の鈴木清明は将来のFA補強の可能性にも言及した。

 唯一親会社を持たず、独立採算制をとる球団。売上高が60億円前後で推移した旧市民球場時代、戦力補強だけでなく、資金面でも厳しい状況に置かれていた。球団存続に絶対条件の黒字化と、チーム成績を両立させるのは容易ならざることだった。オーナーの松田元(はじめ)は苦笑まじりに振り返る。

 「どんな状況でも道は必ずあると思うとった。他球団がやらないことをやって、競争に勝つという気持ち。“不利だね、可哀想なチームだね”と言われる中で、証明したかったんじゃけどな」

 ルール無視がまかり通っていたドラフトが“正常化”し、同じ土俵で平等に戦える環境が整った時、発掘と育成を根幹とする広島の道は再び開けた。

 リーグ優勝を決めた10日の巨人戦。復帰組の黒田博樹と新井貴浩を含め、広島でプロ野球人生を出発させた先発9人が並んだ。伝統の息づく誇らしい布陣だった。 =敬称略= (広島取材班)

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