【レジェンドの決断 東出輝裕1】10年前から「辞職」脳裏に

[ 2016年1月14日 10:45 ]

09年4月、中日戦で適時打を放つ東出。この年、自己最多164安打を記録する

 その瞬間、ピーンと張り詰めていた心の糸が緩んだ。13年2月24日、宮崎・日南天福球場。1軍本隊が2次キャンプ地の沖縄へ移動し、居残り組のベテランは若手に交じって独自の調整を進めていた。その中で災禍は起きた。東出にとっては大きな転機だった。

 「“アッ、もう野球をやらなくていいんだ”って思った。もう無理、もういいや…と。悔しいとかじゃない。正直、楽な気持ちになりました」

 紅白戦。アウトのタイミングを承知で本塁突入を試み、捕手のタッチをかわそうと回り込む。だが、送球が三塁側にそれた分だけ無理な動きを強いられた。「そうしたらグリッといった」。左足で立とうにも立てない。「膝カックンされているような感じですね…」。重傷だと直感した。

 診断は左膝前十字じん帯断裂。選手生命を脅かしかねない、東出には初めての大ケガだ。それでも悲壮感はなかった。むしろ達観していた。「落ち込んでも仕方がない。変に割り切っていましたね。“辞めればいいや”って」。心の糸が緩む、過去の苦い体験がそうした心境にさせていた。

 98年ドラフト1位入団の松坂世代。2年目から遊撃手の定位置を獲り、打率・310をマークした08年と、自己最多の164安打を放った09年には2年連続で二塁手のベストナインに輝いた。だが、華々しい活躍の過程には低迷期もあった。03~05年の3年間。1軍と2軍を行ったり来たりの生活を強いられた。

 「引退ではなくクビ。いつ辞めさせられるか分からない。辞めることを常に意識していました」

 技術面で壁にぶち当たっていた。のちに克服するが、当時は頭と左肩が前に突っ込む悪癖があり、フォークが打てない、拾えない。03年から本格的に転向した二塁守備でも不名誉なレッテルを貼られた。それもこれも期待が大きいからこそだが、心は悲鳴を上げ、張り詰めていた糸は緩んだ。

 「期待を裏切った自分が悪いんだけど、あれだけ“ダメだ下手だ”と言われたら、自信をなくしますよ。どん底でした」

 広島市内で卸売業を営む知人に“クビになったら雇って”と頼んだこともある。自分の意思か、第三者からの通告か…の違いはあれど、東出は10年も前から「辞職」の2文字を脳裏に刻み込んでいた。「こんな形とは思わなかったけど、いずれ来ること。少しは頑張って見返せたし、ま、いいや…と」。ただし、心の糸を切ることまではしなかった。 (江尾 卓也)

 ◆東出 輝裕(ひがしで・あきひろ)1980年(昭55)8月21日、福井県出身の35歳。敦賀気比では3度甲子園に出場。98年ドラフト1位で広島入り。3年目の01年に全試合出場してシーズン49犠打の球団記録(当時)をつくった。ベストナイン2度。05年から10年にかけての2393打席連続無本塁打はプロ野球歴代2位の記録。通算成績は1492試合で打率・268、12本塁打、262打点、143盗塁。1メートル71、75キロ。右投げ左打ち。

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