レンジャーズ球団史上初リーグ優勝決定S進出

[ 2010年10月14日 06:00 ]

球団史上初のア・リーグ優勝決定シリーズ進出を決め喜ぶモリーナ(右)とリー

 【レンジャーズ5―1レイズ】球団創設50年目の歓喜だ。レンジャーズは12日(日本時間13日)、プレーオフ地区シリーズ第5戦でレイズを5―1で下し、3勝2敗で大リーグ全30球団で最後、球団史上初のア・リーグ優勝決定シリーズ進出を決めた。シーズン中にチームが競売にかけられる騒動も乗り越えてつかんだ栄冠。悲願のリーグ制覇に向けて、15日(同16日)からワールドシリーズ連覇を狙うヤンキースと対戦する。

【プレーオフ


 最後の打者の打球が遊撃手の頭上に舞い上がると、ワシントン監督はたまらずムーア・ベンチコーチに抱きついた。「お荷物球団」と揶揄(やゆ)され続け、創設50年目で初の地区シリーズ突破。苦労の分だけ、グラウンド上で抱き合うナインの喜びは大きかった。

 「自分たちの力を十二分に発揮してくれた。選手たちを誇りに思う。これがわれわれの野球。パワーで圧倒する時もあるが、常に積極性を持ち、相手のすきを逃さなかった」
 ワシントン監督が胸を張ったように、攻撃的な走塁で勝利をもぎ取った。初回1死二塁でスタートを切った二塁走者アンドラスが、一塁ゴロの間に一塁ベースカバーに入った投手プライスのすきをつき生還。6回も一塁ゴロ併殺崩れの間に二塁走者ゲレロが107キロの巨体を揺らしながら本塁へヘッドスライディング。貴重な追加点を挙げた。
 プレーオフ出場は過去3回。しかし結果は出なかった。最大の敵は夏場に軽く気温40度を超える本拠地アーリントンの猛暑。夏場以降、選手はスタミナを奪われ、終盤に失速するのが典型的パターン。打者有利な本拠地球場とあり、投手陣は苦戦することが多かった。

 チームを変えたのは永久欠番「34」で、08年2月に球団社長に就任したノーラン・ライアン氏。球団の育成システムの改革に着手した。特に弱点だった投手の強化に力を注ぎ、自らの著書「ピッチャーズ・バイブル」に記した練習法をマイナー組織に注入。「先発投手は100球の球数制限に負けないスタミナ向上」を掲げ、シート打撃での球数や短距離走を増やし、遠投も奨励した。その成果から、今季新人最多の40セーブを挙げたフェリスら多くの投手が育ち、シーズン途中にはメジャー屈指の左腕リーや捕手のモリーナと適材適所の補強を進め、盤石な戦力を整えた。

 試合後のナインはアルコール依存症の同僚ハミルトンを気遣い、シャンパンファイトの前に、まずはジンジャーエール掛け。首位打者を獲得しリーグMVPが有力なハミルトンはゴーグルを装着。歓喜の輪の中心でジンジャーエールのシャワーを浴び「こんな演出をしてくれるなんて球団の温かみを感じる」と感謝感激。最後まで結束力の高さを見せつけたチーム。それこそ、強さの秘けつだった。

 ≪リーPS男本領!11K完投≫レンジャーズの先発リーが、“ポストシーズン男”としての本領を発揮した。3回に1点を許したが、6安打無四球で完投。第1戦に続き2ケタ11三振を奪い、これでポストシーズンは無傷の6勝。チームも地区シリーズ最多記録の55奪三振をマークし、左腕は「四球を出さなかったのが大きい。リードしてからはとにかく先頭打者を抑えることに気を付けた。(リーグ優勝決定シリーズで)ヤンキースと対戦するのが楽しみだよ」と充実感を漂わせた。

 ▽テキサス・レンジャーズ 1961年にワシントン・セネタースとして誕生。72年にテキサス州アーリントンに本拠地を移転し、球団名をレンジャーズに変更した。ア・リーグ西地区に所属し94年(ストライキのためプレーオフはなし)、96、98、99年に地区優勝もリーグ優勝経験はなし。かつてはノーラン・ライアン(現球団社長)らが在籍し、前ロッテ監督のバレンタイン氏は85~92年に指揮を執った。また00年オフにはマリナーズからFAとなったロドリゲス(現ヤンキース)と、当時米プロスポーツ史上最高額で10年契約。注目を浴びたが、在籍した03年までの3年間は連続地区最下位に沈み、補強失敗に終わる。本拠地はレンジャーズ・ボールパーク(収容4万9115人)。日本人選手は伊良部秀輝、大塚晶則、福盛和男が在籍した。

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2010年10月14日のニュース