張本氏「現実がまだ受け入れられない…」

[ 2010年10月8日 06:00 ]

09年1月30日、スポニチ創刊60年「感謝の集い」で記念撮影に納まる大沢氏(左)と張本氏

 【大沢啓二氏、死去】<張本勲氏、悼む>悲しいというより悔しい。まさか、こんな急に…。3日。「サンデーモーニング」の本番が終わって、その足でお見舞いに行ったばかりだった。私の顔を見ると「すまんな」。時折、酸素吸入をされていたが、細い声ながら会話もできたし、また一緒に仕事ができると思っていた。その4日後である。

 大沢さんとは52年の付き合いになる。私が東映(現日本ハム)に入団してすぐのころだ。レバニラなど500円で食べ放題の渋谷のギョーザ店でたまたま会った。駒沢球場を本拠地としていた時代。南海の宿舎は渋谷の隣の原宿にあった。8歳離れているが、同じ外野手ということもあって、なぜか気が合ってよく話をさせてもらった。
 プレーヤーとしては俊足で強肩の外野手。上手だった。忘れられないのはプロ入り2年目の駒沢球場。私の打球はライトに転がった。2、3歩前進してグラブを出した大沢さんは急に体を反転してフェンス方向へ走りかけた。てっきりトンネルしたと思って二塁へ走ったら、矢のような送球でタッチアウト。まんまと“演技”にだまされた。
 日本ハムの監督になられるとき、私の家に来て「一緒にやろうじゃないか」と言ってくれたが、私はすでに巨人へのトレードが決まっていた。全くのすれ違いで同じユニホームを着ることはなかったが、99年、食事したときに「一緒にテレビに出ないか?」と誘ってくれた。以来2人でどれだけの「あっぱれ!」をあげ、「喝!」を入れてきたことか。
 酒は飲まないが、歌が大好きで講演でも歌っていた。「旅姿三人男」が十八番だった。南海時代はほっぺがふっくらとして横顔が鳩に似ていることから「ポッポ」と呼ばれていた大沢さん…。今は10年前に実の兄を亡くしたときと同じ気分だ。
 現実がまだ受け入れられない。今すぐ「ハリやん、めしでも食おうか」と電話がかかってくるような気がしてならない。(スポニチ本紙評論家)

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2010年10月8日のニュース