球界の悲劇、過去には…

[ 2010年2月6日 06:00 ]

 ◆球界過去の変死

 ▼湯口 敏彦(巨人投手)70年ドラフト1位で巨人入り。72年11月のファン感謝デーの紅白戦で打ち込まれたことが発端でうつとなり入院。一時退院も73年2月に再入院し3月22日、病院のベッドで変死体で発見。死因は「心臓まひ」と発表。20歳だった。
 ▼大下 弘(元西鉄外野手、元東映監督)現役時代は“青バット”の大下で親しまれた強打者。球界を退いた後、78年6月に少年野球指導中に「脳血栓」で倒れ左手足に後遺症が出た。79年5月23日に56歳で死亡。死因は「心筋梗塞(こうそく)」と発表されたが、後に睡眠薬服用による自殺と関係者が明かした。
 ▼渡辺 省三(阪神スカウト)98年8月31日、神戸市内の雑居ビル屋上から飛び降り自殺。現役時代は阪神で134勝、スカウトでは新庄、亀山らを入団させた。65歳だった。
 ▼三輪田 勝利(オリックス編成部長)98年11月27日、沖縄・那覇市内のマンション11階から転落し死亡。同年ドラフト1位指名した沖縄水産・新垣(現ソフトバンク)との交渉が難航。同日予定されていた初交渉直前の悲報だった。53歳だった。
 ▼高野 光(元ヤクルト投手)00年11月5日深夜、東京・豊島区の自宅マンション7階の窓から飛び降り自殺。同年3月まで韓国で臨時投手コーチを務めたが帰国後、仕事がなく悩んでいた。39歳だった。

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2010年2月6日のニュース