両国のファン「ヒーローだった」「あんな強い横綱もう出てこない」

[ 2013年1月19日 21:59 ]

元横綱大鵬・納谷さんを悼む

 「戦後日本に夢を与えた名横綱」「残念のひと言」。元横綱大鵬の納谷幸喜さんが亡くなった19日、初場所が開催中の東京・両国では、大横綱の死を惜しむ相撲ファンや関係者の声であふれた。

 「ものすごく苦労しているので、ご飯粒ひとつ残さない人だった」と話すのは、大鵬が序ノ口のころから通っていた国技館近くのふぐ料理店「ひょうたん」の店主中西滋さん(61)。約30年前に亡くなった父圭一さんが「強い相撲取りが入ってきた」と応援を始めたのが、付き合いのきっかけだった。

 大鵬の弟子の取組を観戦するため、入院中の病院を抜け出すこともあったという父を、滋さんは「男が男にほれたのだろう。息子より大鵬さんが好きだった」と苦笑い。「天国で父と酒を酌み交わしてくれるかな」

 国技館に観戦に来ていた堺市の税理士堤裕司さん(56)は「小学校時代からの大ファン。本当に強い横綱で、私たちの世代にとってヒーローだった」とたたえた。

 「亡くなったんですか。それは惜しいことを…」と言ってしばらく言葉が続かなかったのは東京都目黒区の弁護士宮文弘さん(84)。「『剛』の柏戸に対し『柔』の取り口で堅実な相撲だった。柏戸ファンとしては手ごわい相手だったが、2人が競い合ったからこそ相撲が盛り上がった。一時代を築いた名横綱だった」と振り返った。

 訃報を知らせる号外を国技館前で受け取ったさいたま市の会社役員桑原次男さん(67)も「残念のひと言。日本人の根性がなくなってきたので、あんな強い横綱はもう出てこない」と話した。

 「大鵬さんがテレビに映ると、町の電気店前やテレビを持っている家まで人が集まったのを覚えている」と昭和の古き良き時代を懐かしむように話すのは東京都内に住む無職の女性(68)。「北海道にある大鵬の記念館にも何度か足を運んだ。戦後の日本に夢を与えてくれた」としみじみと語った。

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2013年1月19日のニュース