【1973年センバツ 江川世代】衝撃の60奪三振“怪物”“不沈艦”を沈めた広島商監督の詳細&大胆指示

[ 2024年3月13日 07:15 ]

第45回大会準決勝の広島商戦でカメラの放列に囲まれる作新学院・江川卓
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 第96回選抜高等学校野球大会(センバツ)は3月18日に開幕する。今大会は一般選考29校、21世紀枠2校、神宮大会枠1校の計32校が選考され、13日間の熱闘を繰り広げる。早春のセンバツは世代を代表するスター選手たちが最上級生で迎える大舞台でもある。「〇〇世代」として春の甲子園を沸かせた選手たちの特集。第2回は1973年の「江川世代」。(構成 浅古正則)※敬称略

 ■江川卓(作新学院)

 全国野球ファンの注目を集たのは栃木・作新学院の剛腕・江川卓だった。1年生時からその名はとどろいていたが、3度の甲子園出場機会をことごとく逃し、その姿を目にしたものは少なかった。前年秋の栃木県大会と関東大会。7試合に登板し53回無失点、94奪三振。ついに聖地への切符をつかんだ。

 3月27日センバツ開会式当日の第1試合で北陽(現関大北陽=大阪)と対戦した。大会屈指の強力打線と称された北陽だったが手も足も出ない。プレーボールからいきなり5者連続三振。4回初安打を許したその後も三振、三振、また三振。19奪三振でデビューを飾った。江川は北陽から19三振を奪い完封。2回戦小倉南(福岡)戦で7回10奪三振無失点。準々決勝の今治西(愛媛)ではとんでもない投球を演じる。9回、142球。打者29人で許した安打はわずかに1。四球も1つ。奪った三振は8連続を含む20。大会25イニングで49奪三振。前年秋の新チーム結成から練習試合、公式戦、135回無失点。ベスト4へ進出した。作新学院が登場する甲子園は超満員。スポーツメディアは「江川一色」となった。

 準決勝は広島商。待球策の古豪に苦しみ5回に失点。ついに無失点記録が途切れる。同点の8回は1死一、二塁で金光興二主将が重盗を敢行。捕手が三塁へ悪送球して勝ち越しを許した。痛恨の敗戦。「負けて泣いたって仕方ありませんものね」通算60三振の大会新記録を残して怪物は去った。夏出場も2回戦で銚子商(千葉)に敗退。同年秋阪急(現オリックス)1位(拒否)77年クラウンライター(現西武)1位(拒否)78年阪神1位。小林繁との交換トレードで巨人入りする。

 ■達川光男・金光興二(広島商)

 前年秋の中国大会の覇者・広島商は1931年以来、42年ぶりの春制覇を狙っていた。1番・金光興二から始まる打線は伝統校らしい小技とスピードを兼ね備えたソツのない攻撃が持ち味だった。細身の左腕・佃正樹と達川光男のバッテリーを中心とした守りは大会屈指。“江川の作新”とともに優勝候補に挙げられていた。1回戦静岡商。2回に達川が2年生エース高橋三千丈(78年中日1位)から先制点のきっかけとなる左翼線安打。1点を先行すると5、7回にも加点し、佃が6安打完封勝利を挙げた。2回戦は0―0で迎えた7回1死三塁、カウント3―0から達川の奇襲スクイズで先制。佃が松江商(島根)を封じ込んだ。

 準々決勝でも佃が日大一(東京)を完封。準決勝では怪物・江川と激突、粉砕した。1番で主将の金光興二氏はスポニチアーカイブス2012年3月号でこう振り返っている。「監督からはストライクゾーンから上半分は打つなと言われ、内角寄りの半分のストライクゾーンの球も打つなと言われた。打つのは外角いっぱいのボール1球分だけ。つまり、手を出すなということです。5回まで100球投げさせるのがポイントで5回までに実際に投げたのが108球だった。5回終わってから監督に“お前らの勝ちだ”と言われましたね」。待球作戦で追い詰め、8回“鮮やかな足攻”で不沈艦・江川を沈めた。決勝は2年生エース永川英植(74年ヤクルト1位)擁する初出場の横浜に敗れ紫紺の大旗は逃したが、夏にも出場。深紅の大旗をつかんだ。達川は東洋大を経て77年広島4位。金光は法大を経て77年近鉄1位(拒否)。

 ■山倉和博(東邦)

 通算4度目、戦後初の春制覇を目指す東邦(愛知)の大黒柱は超高校級の捕手と騒がれた山倉。1回戦の唐津商(佐賀)戦。同点の5回、2死一塁から山倉が右越えの三塁打。これが決勝点となった。2回戦でも山倉の豪打が爆発。8回、左翼へ聖地1号となる2ラン。報徳学園(兵庫)を蹴散らした。準々決勝では横浜・永川の前に完封負け。山倉は強肩強打の強烈な印象を残して甲子園を去った。夏出場も初戦(2回戦)敗退。同年秋南海(現ソフトバンク)2位→拒否。早大を経て77年巨人1位。

 ■門田富昭(小倉商)

 小倉商(福岡)の門田はプロ注目の本格派右腕。1回戦で桜美林(東京)と対戦した。3回4番・一塁の林正浩(後にTBSアナウンサー)に中前適時打を許したが、4回に打線の集中打で逆転。門田が6安打完投で甲子園初出場初勝利を挙げた。2回戦は横浜・永川と壮絶な投手戦を演じたが延長13回、大会史上初となるサヨナラ満塁弾を浴びて力尽きた。夏は福岡大会北部予選3回戦敗退。西南学院大を経て77年横浜大洋(現DeNA)1位。

 ■堀場秀孝(丸子実=現丸子修学館)

 前年夏から2季連続の甲子園。4番・捕手、大会屈指のスラッガーとして注目されたのが堀場。1回戦の和歌山工戦では3打数1安打1打点。2回戦では日大一の小山憲英にノーヒットに抑え込まれ零封負けした。夏も出場も初戦(2回戦)敗退。慶大、プリンスホテルを経て82年広島ドラフト外。


 【73年選抜に届かなかった“江川世代”主な選手(秋季大会成績)】中尾孝義(滝川=兵庫県大会決勝リーグ敗退)、掛布雅之(習志野=千葉県大会敗退)、遠藤一彦(学法石川=福島県大会決勝敗退)、平野謙(犬山高=愛知県大会敗退)大野豊(出雲商=島根県大会準々決勝敗退)

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