まだバズっていない怪物 元プロ審判が「和田&杉内級」評価 仙台育英・仁田陽翔の「敗者復活戦」(3)

[ 2023年10月8日 15:32 ]

仙台育英・仁田陽翔
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 国民体育大会「燃ゆる感動かごしま国体」の高校野球硬式の部は8日、雨天順延となった。夏の甲子園大会を制した慶応(神奈川)―仙台育英(宮城)など1回戦4試合が予定されていた。

 休養日がなくなり、9日に1回戦4試合を実施。10日に準決勝、11日に決勝が行われる。プロ志望届を提出した仙台育英(宮城)の最速151キロ左腕・仁田陽翔投手(3年)にとって10月26日のドラフト会議に向け、最後のアピールの場。今夏の甲子園決勝で敗れた慶応との初戦で「リベンジ」できるかが、人生の岐路となる。

 東北地区のアマチュア野球を担当する記者が仁田の歩みを全3回で特集する。最終回は「2回目の初優勝」を目指した今夏の甲子園からプロ志望届提出を決断した今秋までの道のりを振り返る。

 今春の選抜大会で結果を残せなかった仁田は成長の歩みを止めることはなかった。涙で去った甲子園へ、もう一度。敗戦が明日への原動力になった。

 「試合が終わった後、帽子では隠していたんですけど泣きました。(準々決勝の報徳学園戦で)負けた時点で自分のせいだなって。スタンドにあいさつに行った時に“よく頑張った”とか“甲子園で待っているぞ”とか声をかけられて、申し訳なさだったり、温かさを感じました」

 選抜後はセットポジション時の右足をクローズドに置き、体の開きを抑えるように修正を施した。求めたのはベストピッチの再現性を高めること。リリースの強さに安定感が増し、結果的に出力を高めることにつながった。春季東北大会では地元の岩手で151キロをマーク。同じく最速151キロの右腕・高橋煌稀(3年)、153キロ右腕・湯田統真とともに高校野球史上前例を見ない「150キロトリオ」を形成した。

 スポニチ本紙では1月に新企画の「突撃!スポニチアンパイア」がスタート。11年から6年間、NPB審判員を務めた記者が、フル装備で選手たちの成長や、魅力をジャッジする、という趣旨だ。動画、紙面で連携した企画を最強投手陣を擁する仙台育英で実施することが決まった。もちろん主役には2年春の東北大会で一目惚れした仁田をチョイス。夏の大会直前のブルペン投球にマスクとプロテクタを装着して「突撃」した。

 記者はNPB審判員時代、タイミングにも恵まれ、キャンプでは日本ハム・大谷(現エンゼルス)をジャッジする機会があり、実戦ではソフトバンク・千賀(現メッツ)の球審を担当することもあった。他にも阪神・藤浪、広島・大瀬良、中日・大野ら名投手の球道を目に焼き付けることができた。その中でも特に印象に残っている投手が2人。審判員1年目でブルペン投球を担当したソフトバンク・杉内と和田だ。

 審判員は球審を務める際、スピードガンなんて見る余裕はない。「速い!」と思った投手に価値があり「150キロ」という数字は意味を持たない。杉内と和田の2人はとにかく速かった。脱力したフォームから居合い切りのように腕を振り抜くと、一瞬で快速球が本塁の角を舐める。リリース直前に出力が一気に100にはね上がる感覚。球道がストライクゾーンを通過したか、判断に迷うほどの切れだった。「とんでもない世界に来てしまった。先輩たちはこんな球をジャッジしているのか」と面食らったことを覚えている。

 仁田の投球から2人の直球を思い出した。キャッチボールのようにモーションを起こし、頭の位置が変わることなく脱力して腕を振ると「暴力的」ともいえる威力の直球が繰り出される。直球の威力では同じく「突撃」した東洋大の最速158キロ左腕・細野晴希と同等のレベルにあった。仙台育英・須江航監督が仁田を表現するときに「ドーン!」や「バーン!」といった擬音を使う。それは正しかった。まさに「スッ」と投げて「ドーン!」と表現することが最も現実に則っていた。

 さらに、スライダーもスペシャル。特筆すべきは130キロ台中盤の高速「カツオスライダー」だ。今年2月の鹿児島・枕崎キャンプ。注文を誤り、打撃練習に使用する表面がツルツルしたボールで投球練習するしかなかった。普通に投げればスライダーはすっぽ抜けたが、試行錯誤の末「上から押さえつけるように」と投げ込み、従来より球速のある130キロ台中盤の新球種が完成。直球との球速帯も近い「おいしい」変化球だった。

 お世辞なしに高校生トップクラスの実力だった。「あまりコーナーを狙わずに真ん中めがけて2球種を投げ込めば高校生クラスでは打てないのでは…」と思ったが、記者として越権行為になるため助言は飲み込んだ。とにかくこのポテンシャルを公式戦で発揮できることを願った。練習後、仁田と野球部寮までの約1キロを歩いた。「高校野球がもう終わってしまう。率直に早いと思います。数値的には成長を感じられる2年だったが、納得できる結果は出ていない」。語り口調はクールだが、最後の夏に向けて青い炎のように燃えていた。

 時は過ぎ、8月23日の甲子園決勝。仙台育英は2―8で慶応(神奈川)に敗れた。夏の連覇はあと一歩で果たせず。仁田は大会で2試合2回2/3(無失点)と出番は限られ、決勝も登板しなかった。抜群の安定感を誇るエース高橋、150キロの直球、鋭いスライダーをウイニングショットにする湯田が投手陣の軸だった。接戦が続いたこともあり、安定感を欠く仁田がファーストチョイスになる場面は少なかった。

 試合後の閉会式では強い雨が降った。一塁側のベンチ前で待っていた仙台育英を担当する記者陣はずぶ濡れ。取材場所はグラウンドから一塁側ブルペンに変更になった。記者は須江監督、湯田、高橋、山田脩也主将らに取材した。そして、最後に仁田に会った。いつも通り感情をあまり表情に出さない左腕がそこにいた。

 「終わりました…チームとしては2年連続夏の決勝の舞台に立てて最高の思い出になりました。個人としてこれから頑張る糧になる。(プロ志望届の提出は)須江先生とこれから相談します」

 春、夏と出場した今年の甲子園では計4試合で5イニングのみの登板に終わった。夢のプロ入りのためのアピールはできず。記者はこれで大学進学の可能性が高まったと感じた。だが、1つ懸念があった。普段取材する大学リーグは降格制があれば、初戦から最終戦まで負けが許される試合は少ない。大学の公式戦は「勝つための場」であり、「プロ育成の場」ではないのだ。ここに大器ではあるが、安定感を欠く仁田が飛び込んで多くの出番を与えられるイメージができなかった。プロのファームであれば「育成優先」であり、実戦の中で課題に向き合うことができる。だから「わずかな可能性でもプロに行ってほしい」と願っていた。

 吉報は届いた。9月下旬、仙台育英から主将の山田、仁田がプロ志望届を提出することが分かった。そして最後の公式戦の場となる鹿児島国体へ。支配下指名を目指す仁田が指名される可能性は決して高いとはいえない。アピールのタイミングとしては少し遅いかもしれない。それでも「真価」を見せる機会。最後まで決して諦めることはない。

 今夏の甲子園決勝で敗れた須江監督は「人生は敗者復活戦。この経験を次に生かします」と言った。人生は敗者復活戦。仁田が高校野球最後の勝負に挑む。(柳内 遼平)

(全3回・完)

 ◇仁田 陽翔(にた・はると)2005年(平17)6月10日生まれ、岩手県大船渡市出身の18歳。猪川小3年から猪川野球クラブで野球を始め、大船渡一中では軟式野球部に所属。仙台育英では1年春からベンチ入り。憧れの選手はロッテ・佐々木朗。1メートル75、74キロ。左投げ左打ち。

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