【内田雅也の追球】「幸せ」と「勝利」の両立 苦悩する阪神・矢野監督の再出発 日本一への再挑戦

[ 2021年11月6日 08:00 ]

西本幸雄さんが大毎監督退任の1960年12月、選手会から贈られた感謝のプレート。終生、自宅居間に掲げていた。
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 西本幸雄が暮らした宝塚の自宅に表彰状やトロフィーの類いは見当たらなかった。大毎(現ロッテ)、阪急(現オリックス)、近鉄の監督で計20年、8度のリーグ優勝を果たした。正力松太郎賞の金メダルも野球殿堂入りの通知書も押し入れにしまわれていた。

 ただ一つ、応接間の壁に掛けられていたのが、初めて務めた大毎監督を去る時、同選手会から贈られた感謝のプレートである。

 <ニシさん>と親しみを込めて呼びかけ<かずかずの思い出と共に、われわれは限りない感謝と賞讃の言葉を贈る>……<1960年12月 大毎オリオンズ一同>

 日本シリーズでのスクイズ失敗に「バカヤロー」と怒鳴ったオーナー・永田雅一と反目しての退団だった。当初は反旗を翻した山内和弘(一弘)、田宮謙次郎、榎本喜八…ら血の気の多い選手たちとわかり合えたという実感がうれしかった。

 その後、阪急や近鉄では「おやじ」となった。江夏豊に「オレも西本さんの下でやりたかった」と聞いた。「山田久志や福本豊、鈴木啓示……偏屈なやつらが皆慕っている。うらやましかった」

 そんな西本が「監督の仕事とは――」と語った言葉が忘れられない。「選手を幸せにしてやることだ」と言った。練習で技量を高め、試合で活躍させ、給料を上げる。「しかしな、全員を幸せにすることはできんのや」

 ポジションは限られており、しかも勝たねばならない。不遇な選手は必ず出てくる。

 今季の阪神監督・矢野燿大が陥ったジレンマもここにあったとみている。全員を幸せにしたいができない。優勝に手をかけた今季、余計に難しさを知った。1、2軍の振り分け、レギュラーと控え……いや主力選手にあっても、4番と見込んだ大山悠輔、エースと見込んだ西勇輝、正捕手の梅野隆太郎……でも外さざるをえない。采配・用兵に悩むなか、優勝を逃して敗れた。悔恨はなかなかぬぐい去れない。

 俗っぽい書き方をすれば、非情になれ、ということだろうか。
 知将・三原脩は「アマは和して勝つ、プロは勝って和す」と言った。

 大リーグの名将、スパーキー・アンダーソンは<選手たちが幸せかどうかに心を悩ませることはしない>と著書『スパーキー!』(NTT出版)に記した。<それは彼ら自身の仕事だ。わたしは試合に勝つために雇われている>。

 いや、両立できると矢野は信じているだろう。プロも和して、一丸となって勝つ。そして幸せを感じながら勝つ。

 さあ、再び決戦の時が来る。きょう6日、クライマックスシリーズ(CS)ファーストステージの幕が開く。再出発だ。より多くの幸せと勝利を求めた挑戦が再び始まる。=敬称略=(編集委員)

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2021年11月6日のニュース