【内田雅也の追球】「奇跡」を起こすには……9回2死から逆転サヨナラの阪神 矢野監督の涙の理由

[ 2021年7月13日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神4ー3DeNA ( 2021年7月12日    甲子園 )

<神・D(13)>9回、サヨナラ打を放ち、歓喜のシャワーを浴びる大山(撮影・大森 寛明)
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 野球場には「奇跡」が潜んでいる。米作家ジョン・アップダイクは<すべての野球ファンは奇跡を信じる。問題はいくつまで信じることができるかだ>と語っている=『アップダイクと私』(河出書房新社)=。

 大リーグの名将、スパーキー・アンダーソンも<子どもたちはいつでもワールドシリーズでプレーすることを夢見る。わたしも自分の夢とともに歩もう>と著書『スパーキー!』(NTT出版)に記している。だから、監督室の壁に「つねに奇跡を信じていなさい」との警句を掲げていた。

 そんな奇跡が甲子園で起きた。阪神は見事な逆転サヨナラだった。0―3の9回裏2死一塁からの5本の安打(4連続適時打)を連ねた。「あと1人」となっても誰も「最後の打者」になるまいと立ち向かった。

 傲慢(ごうまん)や強引を戒めたかのように、つなぐ打撃に徹した。スタメンから外し、代打で起用した佐藤輝明が右寄りシフトの裏をかくように三遊間突破の中前打でつなぎ、ベストオーダーと信じる1~4番が続いた。9回に放った6安打はすべて中堅から反対方向への単打だった。

 奇跡が起きる条件は「信じる」ことにある。起きることを信じる、そして選手たちが起こすことを信じる心の強さにある。可能性を否定してしまっては奇跡は遠のく。

 負けても、打てずとも、懸命に戦っていた。監督は選手たちを、選手たちは努力を信じていた。目指す優勝、日本一への道のりで、この苦しみは無駄にはならないと信じていた。

 だから、監督・矢野燿大は泣いたのだ。試合後、テレビのインタビューで目を赤く腫らし「感動しています……」と言い、涙がこぼれた。「苦しかったですが……一人一人が……」と心情を明かし、また涙をこぼし、声が詰まった。

 最近は黒星が先行し、2位・巨人も迫ってきた。サイン盗みの疑惑を向けられたこともあった。心安まる時がなかった。時には休みたいと思っただろうが、ほぼ毎日試合がある。

 昨年は開幕当初から不振で「苦しいどころじゃなかった。正直、試合が怖かった」と漏らしたことがあった。あの時のように、明日が来るのが怖かったのではないだろうか。

 スパーキーの先の著書の副題は『敗者からの教訓』だった。ア・ナ両リーグ監督で優勝した自称「勝利中毒」の彼は1989年シーズン中、「精神的な消耗」で休養に追い込まれた。球場に行くのが怖く、逃げだしたくなっていた。

 だが、監督の役目は<チームの能力をすべて発揮できる状態にもっていくこと>で<試合の結果まで左右することはできない>のだと悟った。すると、心に光が差してきた。<「明日があるさ」と思うようになった。いや正確に言えば「明日が来てくれれば」と思うのだ>。

 矢野をはじめ猛虎たちは明日を信じたい。信じていれば、奇跡も起きるのである。 =敬称略= (編集委員)

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2021年7月13日のニュース