オリ金子も認める名トレーナー、福岡で踏み出した新たな一歩

[ 2016年6月16日 10:45 ]

福岡県筑紫野市で整骨院を開いた元オリックスの選手でトレーナーだった吉良俊則さん。院内には、選手からの選別品がずらり

 5月26日のソフトバンク―オリックス戦の前のこと、ヤフオクドームの三塁ベンチに懐かしい顔があった。昨年までオリックスで主に2軍でトレーナー兼コンディショニング担当を務めた吉良俊則くんだ。海田、塚原、吉田一、伊藤ら選手がひっきりなしに訪れて旧交を温めた。信頼されていた人柄がにじみ出る光景に、こちらも思わず懐かしくなった。

 「鶴さん、本当にお世話になりました」。昨秋、退団するという話を聞き、ショックを受けたのを覚えている。13年にトレーナーとしてオリックスに入団。その年から担当記者になった私とは“同期”だった。地元の九州に戻って、整骨院を開業するのだという。本来なら喜ぶべきことだ。だが、私は残念でならなかった。こんな優秀な人材を手放すのは、オリックスには痛手に違いないのだから。

 吉良俊則くん。強豪の柳ヶ浦高校で主将を務め、高校通算54本塁打のスラッガーだった。03年のドラフト2巡目で近鉄に入団。近鉄が最後に参加したドラフトでプロ入りした、いわば最後の猛牛戦士でもある。だが、分配ドラフトを経てオリックスに入ってからも成績は残せなかった。原因は、左肘を痛めて2度も手術を経験したこと。プロ5年間で1軍経験のないままユニホームを脱ぐことになった。

 それでも、専門学校などで勉強して資格を取り、トレーナーとして古巣に帰ってきたことは素晴らしいことだ。自分のようにケガで苦しんだ選手の助けになりたいという純粋な思いから。そんな吉良くんの忘れられない言葉がある。

 「選手はどうしても試合に出たいんです。休んでいる間に、自分の居場所がなくなるかもしれない。出られないときの悔しさとか、恐怖心はぼくにも分かるんです。だから、ぼくは試合に出る方法をまず考えてあげたいんです」

 元選手だからこそ、現役選手の心の叫びが身に染みて分かるのだろう。昨秋、宮崎フェニックスリーグでは、西野の右手有鉤(ゆうこう)骨骨折からのリハビリに付き合った。今季は見事に復活の兆しを見せており、吉良くんの置き土産ともいえる。西野は当時を振り返り、「少しでも早く良くなる方法を考えてくれて、本当にお世話になったんです。選手の気持ちを理解してくれる人でした」と感謝していた。

 そして、もう1人。どうしても思い出を聞きたかったのが金子だ。右肘の手術明けとなった15年の春季キャンプで、リハビリに付き添ったのが吉良くん。金子の思い出は独特だった。「現役のころ、一緒にリハビリをしていたこともあるんです。彼が肘が悪いのを知っていたので、オリックスに戻ってきて、投げられるようになっているのを見たとき、時間が解決してくれるんだな、とか思ったこともありましたね」。

 吉良選手に対しては、投げたり、打ったりのイメージは少ないらしい。だが、「トレーナーの勉強をしているのも知っていました。選手の気持ちを理解してくれるトレーナーでした」と、西野と同じ感想を抱いていたことは、思った通りだった。

 ヤフオクドームで会う2日前、私は福岡県筑紫野市にある整骨院を訪ねた。JR二日市駅からほど近い院内には、オリックスやソフトバンクの選手から贈られた開店祝いの花が所狭しと並んでいた。その中にはトレーナーとして金子とキャッチボールをした思い出の球も並んでいた。「金子さんの考え方とか、色々聞かせてもらって、本当に勉強になったんです」。思い出の白球を見つめる吉良くんの目が、すごく真剣だったのが印象的だった。腕には、退団する際に塚原と大山からプレゼントされた腕時計が光っていた。塚原は照れ隠ししたが、数え切れない選手たちがお世話になったわけだ。

 先日、「Kira 整骨院」のホームページ(http://kira―seikotsuin.jp)ができた、という報告をもらった。プロ野球選手だけでなく、高校球児や主婦のような通院患者など、幅広い利用者がいて仕事は大変だという。少し寂しいが、記者として会うことは、もうないのだろう。これからは友人の1人として、彼を応援したいと思っている。(記者コラム=オリックス担当・鶴崎唯史)

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2016年6月16日のニュース