“時代”が際立たせる「ICHIRO」の存在

[ 2010年9月25日 06:00 ]

200安打を達成し、ヘルメットを取って声援に応えるイチロー

 【イチロー10年連続200安打】イチローはベースボールに革命を起こした――。今月28、29日(日本時間29、30日)に米国で放送される大リーグのドキュメンタリー番組「テンス・イニング(10回)」にイチローはこの15年間を象徴する選手の一人として登場する。制作にあたった米国を代表するドキュメンタリー作家、ケン・バーンズ氏(57)がスポニチ本紙の取材に応じ、100年以上の歴史を持つ大リーグにおける「ICHIRO」の存在意義について語った。

 バーンズ氏は今から16年前の94年に「ベースボール」というドキュメンタリー番組を制作した。全米で4300万人が視聴し、優れたテレビ番組に与えられるエミー賞も受賞した同作品は18時間半に及ぶ大長編。野球の歴史を「9イニング」に分け、昔のフィルムを巧みに使い、その誕生から描いた。「テンス・イニング」はその続編だ。
 この15年間、大リーグは激動の時代だった。野球の国際化、新球場の建設ラッシュ…。しかし、一番の衝撃は筋肉増強剤ステロイドのまん延。バリー・ボンズ(元ジャイアンツ)のような走攻守3拍子そろった選手がなぜ薬物の力を頼ったのか。疑問に思ったバーンズ氏には「10回」をつけ加える必要があった。制作に3年間を費やし、4時間の作品に仕上がった。
 「ステロイドスキャンダルはこの15年間を象徴する出来事。多くの選手が筋肉を大きくしようと躍起になっていた。その流れと正反対にいるのがイチロー。パワー全盛の時代に技術とスピードで対抗する。こういう時代だから彼のプレーは希少価値があるし、きちんと取り上げたいと思った」
 今回の作品の中で最も多くの映像が使われ、細かく描写されているのはボンズ。バーンズ氏は「その違いを際立たせる存在としてイチローを登場させた」と話す。01年のメジャー移籍後、数々の記録を塗り替え、通算2230本の安打を積み上げてきた天才打者だが、紹介映像として同氏が選んだのは意外な一本。01年5月2日、レッドソックス戦、ペドロ・マルティネスとの初対決で、3回2死から放ったどん詰まりの遊撃内野安打だ。
 「小飛球がペドロの頭の上を越え、マウンド後方にポトリと落ちた。まるでゴルフのチップショットでピンそばに寄せたように精巧だった。力任せにバットを振るのではなく、脳を使って内野手と駆け引きする。イチローが昔のプレースタイルをよみがえらせたことはこの作品に記録するに値すると思った」
 記録を抜くことで、タイ・カッブ、ウィリー・キーラーら20世紀初めのスター選手を次々に現代によみがえらせたイチロー。どんなボールでも打ち返し、塁間を飛ぶように疾走する。バーンズ氏は「アメリカの野球ファンは、瞬時に彼を愛した」とのナレーションをはさんだ。この作品の放送に合わせたかのように、達成された10年連続200安打。ベースボールの歴史の中に「ICHIRO」の名前は永遠に刻まれることになる。

 ≪インタビューでは衝撃の答え≫イチローは同番組の中でインタビューに答えている。撮影が行われたのは08年3月の春季キャンプ中。「あなたにとって野球とは?」の質問に「オオカミの子供というのは初めて見たものを自分の親と思うらしい。僕の中ではそんな感じかもしれない」と話した。
 インタビューを担当したのは、共同制作者のリン・ノビックさん(48)。初めて会った印象について「衝撃的だった」と語る。「野球選手の中には陳腐な決まり文句で、あらかじめ答えを予想できる人もいる。例えば、なぜ野球を始めたのかと聞くと、父親が野球好きで、球場でウィリー・メイズ(元ジャイアンツ)を見たからとか。でもイチローはいきなり“オオカミの子供…”と始めた。本当に驚いたし、私たちの番組はよりシャープなものになった」。
 イチロー以外に選手、監督でインタビューシーンが登場するのは、ヤンキースで黄金時代を築いたジョー・トーリ監督(現ドジャース)、ドミニカ共和国出身のサイ・ヤング賞右腕ペドロ・マルティネスら4人だけ。イチローが米球界に与えたインパクトは日本人が思っている以上に大きい。

 ◆ケン・バーンズ 1953年7月29日、ニューヨーク州生まれの57歳。75年にハンプシャー・カレッジで美術学士号を取得。番組制作会社「フローレンティーン・フィルムズ」の共同設立者でもある。現在は米国を代表する映像ドキュメンタリー作家で、代表作は「THE CIVIL WAR(南北戦争)」(1990年)、「BASEBALL」(1994年)など。エミー賞7度受賞、アカデミー賞にも2回ノミネートされている。

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2010年9月25日のニュース