岩瀬 通算250S達成!いざ前人未到の300Sへ

[ 2010年6月17日 06:00 ]

<中・日>250セーブを挙げ、ドアラとお立ち台で笑顔の中日・岩瀬

 【中日5―3日本ハム】中日の岩瀬仁紀投手(35)が16日、日本ハム戦で今季16セーブ目を挙げ、史上3人目、左腕では初の通算250セーブを達成した。2点リードの9回から登板して1安打無失点に抑えた。高校、大学時代は無名だった左腕がプロ5年目から守護神に転向。昨季は史上初の11年連続50試合登板、5年連続30セーブも達成した鉄腕が、とうとう名球会入りの資格を手にした。

【試合結果


 心からの笑顔だった。マウンド付近にできた祝福の輪。岩瀬はベンチ前で落合監督とガッチリ握手を交わした。プロ12年、658試合目で達成した通算250セーブ。球史に名を残す守護神の目は、赤く潤んでいた。
 「1つ1つの積み重ねでここまで来た。きょう決めないとどうしよう、というぐらい覚悟を決めて(マウンドに)上がった。うれしいです!」
 8回にブランコの3ランで逆転。9回、いつもの出番が回ってきた。1死から二塁打を許すも後続を断った。予備日とあって観客はわずか6947人。その誰もが歴史の証人になった。前回登板の7日は、2点差を逆転され今季初黒星を喫しただけに「本当はもっと格好良く終わりたかった。(王手からも)苦しみたくはなかったけど…。それも僕らしいですね」
 脳裏に刻まれているのは川上(現ブレーブス)の言葉。「岩瀬さん、そんな笑っとったらナンボでも打たれますよ」。入団当初、痛打を食らってもマウンド上で笑いを浮かべていたことがあった。1学年下のエースの指摘で表情を変えない「鉄仮面」に生まれ変わった。「どんな状況でも心だけは折れないようにする」。黙々と、淡々と。決して弱みは見せない。それだけに重圧から解放されて浮かべた笑顔は、何ともさわやかだった。
 愛知大では外野手兼任も、愛知大学リーグ通算安打記録(125安打)に1安打届かず、投手に専念する決意を固めた。入団1年目から中継ぎ人生。先発は00年10月8日広島戦(広島)の1度だけ。昨年は蓄積された勤続疲労で原因不明の右半身まひに悩まされ「ベッドから起き上がれない日もあった」という。そんな苦難も乗り越えた。
 「監督には“300いけ”と言われてるので、300セーブまで頑張ります」。入団から11年連続50試合登板中の鉄腕。目指すべき数字は、まだ先に残っている。

 ▼中日・落合監督 まだ250。300だったらお祝いしてやるよ。人のやっていないことをして初めてな。そうなればアイツを抜こうとするヤツが出てくる。そういう目標をつくってやらないとアイツがプロ野球界で生きていた証がない。誰も破れない記録をつくってほしい。

 ≪実働12年は大魔神と並ぶ最少年数≫岩瀬(中)が日本ハム戦で今季16セーブ目を挙げ通算250セーブを達成した。プロ野球3人目で、左腕では初めて。初セーブは1999年6月23日の巨人戦(ナゴヤD)で記録。通算658試合目での到達は、佐々木(横=435試合)、高津(ヤ=512試)に次ぐ3番目のペース。実働12年目での達成は前記佐々木と並ぶ最少年数になった(高津は実働13年目)。

 ◆岩瀬 仁紀(いわせ・ひとき)1974年(昭49)11月10日、愛知県生まれの35歳。西尾東―愛知大―NTT東海を経て98年ドラフト2位で中日入り。1年目に最優秀中継ぎ投手を受賞。落合監督就任の04年から抑え転向。05年は46セーブでシーズン最多セーブ記録を更新した。1メートル80、81キロ。左投げ左打ち。年俸4億3000万円。

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