【スノボ】小野光希が銅メダル 北京、予選の悔しさを歓喜の涙に変え「頑張ってきて良かった」

[ 2026年2月14日 02:00 ]

2回目、トリックを決める小野(撮影・小海途 良幹)
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 女子決勝が12日、行われ、2大会連続出場の小野光希(21=バートン)が85・00点で銅メダルを獲得した。同種目でのメダル獲得は、今大会は9位だった22年北京大会銅メダルの冨田せな(26=宇佐美SC)に続く2人目の快挙。敗退の危機にひんした予選11位から一夜。決勝で3回とも転倒した前回大会のリベンジを果たし、悔し涙を喜びの涙に変えた。

 敗退危機に思わず涙した予選から一夜。滑走順が12人中2番手だった小野は、1回目に出した85・00点を持ち点に、最終3回目を滑る他の選手の動向を見守った。最後は11番手の清水が、わずか1点及ばずに銅メダルが確定。信じられないといった表情とアクションを見せると、自然と喜びの涙があふれた。

 「(待ち時間は)本当にしんどくて、誰かの失敗を待つのも嫌だし、全員が決めた上で勝てたらいい。本当にそれだけだった」。その気持ちに偽りはない。そしてズッシリと重いメダルをかけると、「本当に夢を見ているようなふわふわした感じ。4年前は本当に悔しい気持ちで終わった。それをバネにして、ここまで諦めずに頑張ってきて良かった」と喜びに浸った。

 前夜、選手村に帰ると、決勝のプランをコーチ陣と話し合った。そこでハッキリとした口調で、「もう自分は100かゼロかでいきたい」と直訴した。迎えた決勝。4方向全ての回転技を入れたルーティンを完遂し、85・00点をマーク。2、3回目は2発目の技の回転数を上げ、いずれも転倒したが、「今までやってきたことを全部出せた」と喜んだ。

 気持ちも成績も浮き沈みの多い4年間だった。前回五輪の翌シーズンから、2季連続でW杯種目別制覇。ところが五輪選考が始まった24~25年シーズンから海外の強豪が戦列復帰し、日本でも清水や工藤ら若手が台頭すると、再び勝てなくなった。昨年9月には左足首の脛腓(けいひ)じん帯を損傷し、3週間は板を履けず。焦りはあったが表には出さず、この2日間は闘志を全面解放した。村上大輔コーチも「(安全策に)抑えずに全開でいった。本当に精神力の強さは凄い」と舌を巻いた。

 中1の時、テレビ番組で共演したスノーボード・アルペンの竹内智香に「将来の夢は五輪に出ることです」と言うと「出るだけでいいの?」と返され、ハッとさせられた。それから9年。「カメラが多いな」と思いながら表彰台に上り、かけられたメダル。「やっぱり特別ですね」と、言葉に実感を込めた。

 ☆生まれとサイズ 2004年(平16)3月5日生まれ、埼玉県吉川市出身の21歳。家族は両親と2学年上の姉。1メートル54。

 ☆W杯7勝 10年バンクーバー五輪を見て小学校時代にハーフパイプを開始。22年北京五輪9位。22~23、23~24年シーズンはW杯種目別で連覇を達成した。W杯通算7勝。

 ☆名の由来 母・静恵さんは「希望にあふれ光り輝く子になってほしいという願いを込めて」と語るも、小野自身は「絶対に違うでしょ」。というのも静恵さんが大のミッキーマウス好きだから。

 ☆文武両道 3月には早大スポーツ科学部を卒業見込み。卒論もスノーボードがテーマ。サーフィンの中塩佳那は同じ日に入学試験を受けた時からの親友。

 ☆験担ぎ 出発前に「まい泉」のかつサンドを購入、機内で食べることがルーティン。

 ☆ポケモン交流 銀メダルのクロイ・キム(米国)とはスマホゲームの「ポケポケ」で交流。会うたびに「これを引いた」「何が出た?」などの会話で盛り上がる。

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