【スノボ】小野光希の母・静恵さん歓喜 母娘の二人三脚結実 「エケコ人形」の願い通じた

[ 2026年2月14日 02:00 ]

銅メダルを獲得し涙する小野光希(撮影・小海途 良幹)
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 4年前の北京五輪は開幕直前に交通事故に遭い、娘にはひた隠しにして病室で五輪をテレビ観戦した小野の母・静恵さん。今回は埼玉県内の自宅で銅メダル獲得の瞬間を見届け「ホッとしました」と感慨に浸った。幼稚園の年長だった小野がたまたまテレビでバンクーバー五輪を見て「私もこれやりたい!」と宣言してから16年。まさに雨の日も雪の日も支え続けてきた。

 6歳でスノーヴァ溝の口(20年3月末閉館)に通い始めると、土日は2つ上の姉の分を含め、弁当を計6個作り、渋滞すると片道2時間かかる距離を車で送り迎えした。ETC代やガソリン代は1カ月で10万円を超えることも。「うちはそこでお金がかかっているから、他の習い事はできないよ」と話したこともある。中1の時にはバートンと契約。この時には「やめるなら今だよ。スポンサーがついたら、そんなに簡単にはやめられないよ」と告げた。両親の苦労や周囲の支えを10代の少女なりに理解し、競技に取り組む覚悟は本物になった。

 だから9位に終わり、失意のまま帰国して「言い方は悪いけど“廃人”っぽくなっていたと思います」という北京五輪後、静恵さんは小野がやめると言ってくると覚悟した。だが連絡の頻度こそ少なくなったが、オフに入ってしばらくたつと、練習を再開した。「ママも悔しい思いをした。できるだけサポートするから一緒に頑張ろう」と声をかけて4年。母娘二人三脚の歩みは、5年越しで実を結んだ。

 試合の日には必ず、アンデス地方の福の神「エケコ人形」を置き、その周りにかつサンドや数十種類のお菓子、縁起物のだるまなどをお供えする静恵さん。娘を思う母の願掛けも、大きく実を結んだ。

 ≪10歳の誓い貫いた≫5歳で五輪出場を志した小野は小学校の卒業文集など、節目ごとに思いを書き記してきた。二分の一成人式(10歳)の時は「10年後の自分へ」と宛てたメッセージに、「スノーボードがんばってる?光希は今がんばってるよ。けがしないでね」と書いた。卒業文集では「今までしてきたたくさんの練習、努力。それは必ず裏切らないと思う」(いずれも原文ママ)と書いている。4年前は実を結ばなかったが、10代の誓いをその後も貫き、メダルにたどり着いた。

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