橋爪四郎さん死去 戦後の日本水泳界を古橋広之進さんとけん引 ヘルシンキ五輪1500M自由形で銀

[ 2023年3月15日 05:30 ]

インタビューに答える橋爪四郎さん(2018年3月撮影)
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 戦後の日本水泳界を古橋広之進とともにけん引し、日本が敗戦後初めて参加した1952年ヘルシンキ五輪の競泳男子1500メートル自由形で2位になった橋爪四郎(はしづめ・しろう)さんが9日午後8時5分、前立腺がんのため東京都大田区の自宅で死去した。94歳。和歌山市出身。通夜は16日午後6時半、葬儀・告別式は17日午前11時から、いずれも大田区南雪谷2の1の7、公益社雪谷会館で。喪主は長男伸浩(のぶひろ)氏。

 和歌山の海草中(現向陽高)卒業後、日大へ。48年、敗戦国だった日本が参加を許されなかったロンドン五輪と同時期に開かれた日本選手権の1500メートル自由形で古橋と激しく競り合い、ともに米国選手の五輪優勝タイムを40秒以上も上回った。翌年の全米選手権(ロサンゼルス)でも自由形3種目でいずれも古橋に次ぐ2位となり、世界に水泳ニッポンの強さを見せつけた。常に古橋の陰に隠れた存在だったが、そのライバルが体調不良で惨敗したヘルシンキ五輪では主軸として銀メダルに輝いた。

 引退後は自らスイミングクラブをつくって普及に努めた。1992年に国際水泳殿堂入りした。

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