多い選手数、盛大な開会式、聖火リレー 真の簡素化へ大きな壁 国立競技場が負の遺産?

[ 2021年8月11日 05:30 ]

国立競技場と五輪マーク
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 【検証 東京五輪2020(下)】東京五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長は東京五輪のレガシーを問われ、「今後起こるであろうパンデミック(世界的大流行)下でも、世界的規模のイベント開催が可能であることを示せた」と答えている。国際オリンピック委員会(IOC)や24年パリ大会組織委員会はもちろん、各国選手からも開催への感謝が示され、反対が圧倒的多数を占めていた国内の世論も「やってよかった」に変わった。

 だが、後世へ何かを伝えるという点では、次々と明らかになった“負の側面”を受けた「新たな五輪モデル」の構築が重要だろう。特にコロナ禍で必要に迫られた「簡素化」は肥大化した大会の軌道修正に欠かせない。

 組織委は大会延期に伴い52項目で見直しを図ったが、経費削減額は約1兆3500億円の予算(当時)のわずか2%に過ぎない約300億円。肝心の競技そのものには手を付けられなかったため、細かい部分をいくら削っても限界があった。33競技で選手約1万1000人という規模自体を見直さない限り、真の簡素化は不可能であることが東京大会で示されたと言える。武藤事務総長も「これだけ規模が大きいと、受け入れられるのは経済力がある国の大都市に限られる。東京、パリ、ロサンゼルスなどで何度も行うことになりかねない」と言う。開会式や聖火リレーの規模縮小が進まない理由としてIOCやテレビ局、スポンサーの“壁”も明らかになった。

 日本国内に目を向けると、ほぼ無観客開催による約900億円分の減収を負担するのが国なのか東京都なのかの“争い”に加え、競技会場の後利用問題が深刻だ。新設された7つの恒久施設のうち、五輪後の運営黒字が想定できるのは有明アリーナのみ。年間維持費24億円とされる国立競技場は民営化計画のメドすら立っておらず、「負の遺産」の象徴となる可能性がある。また、大会理念として強調されてきた「復興五輪」は海外メディアの行動制限や無観客開催により情報発信量が極めて少なく、被災地の現状を世界へアピールできなかった。福島や宮城で競技が行われ選手村で被災地食材を使用するなどの取り組みでアピールしたが五輪が復興を後押しするという“設定”自体に無理があった。

 目に見えるレガシーとしては、男女平等や持続可能性の意識が社会全体に高まり、スポーツ組織の変革や障がい者対応施設の増加など実績を残した点も挙げられる。ただ、これにしても、組織委の森喜朗前会長らの問題発言や過去の行動による式典関係者の相次ぐ辞任劇など、大会の“マイナス面”がもたらしたものであることを忘れてはならない。

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