聖火リレー25日スタート 11年世界一なでしこJ監督・佐々木氏手記「コロナと闘う世界に感動と勇気を」

[ 2021年3月25日 05:30 ]

聖火リレーの前日会見に臨む佐々木則夫総監督(代表撮影)
Photo By 代表撮影

 新型コロナウイルスの影響で1年延期となった東京五輪の聖火リレーが25日、福島県のサッカー施設Jヴィレッジ(楢葉町、広野町)から121日間のスタートを切る。第1走者を務める11年サッカー女子W杯優勝の日本代表「なでしこジャパン」メンバーが24日に発表され、主将だった澤穂希さん(42)は体調不良により不参加が決定。W杯監督だった佐々木則夫氏(62=WEリーグ大宮総監督)とDF岩清水梓(34=日テレ)はスポニチ本紙に手記を寄せ、東京五輪と聖火リレーへの思いを明かした。

 前回1964年の東京五輪は幼稚園の年長で、よく覚えている。山形県尾花沢市に住んでいたが、園児全員で近くの国道へ行って沿道でみんなで声援を送った。先導する車の後ろを聖火ランナーが走り、煙がもくもくとなびいていた。地域のみんなが盛り上がっていた。山形は東京から遠く、開催地でもなかったので聖火リレーが唯一肌で感じられる五輪イベントだった。子供なので五輪はどういうものか全く分かっていなかったが、それでも熱は感じられた。57年を経て自分が聖火ランナーになるなど、当時は思いもよらなかったが、いまは感慨無量。いよいよ走る日を迎えてわくわくしている。

 東京五輪が近づき、少しずつ開催を実感している。どうすれば安全に実施できるかもこれから分かってくるだろう。プロ野球やJリーグを見る限り、チーム内では新型コロナウイルス感染者が出ているが、観戦者に問題は起きていない。海外からの観戦者は受け入れないことになったが、今は鮮明な映像が世界中に配信される。私もリオ五輪はテレビ観戦したが、バドミントンや卓球などはハラハラドキドキして現地にいる感覚だった。東京五輪でも、コロナと闘っている全世界に選手たちが感動を与え、勇気づけられるはずだ。

 なでしこジャパンも11年W杯で優勝し、東日本大震災で被災した人たちに映像を通して感動や元気を送ることができた。このタイミングで再びスポーツの力を世界に発信し、しかもそれを日本が運営できるのは素晴らしいことだ。聖火リレーは五輪のシンボル。「世界の祭典が始まるぞ」という合図を、走りながら伝えたい。皆さんを代表してスタートを切れることは誇り。最後までバトンが渡るようにしっかりつなぎたい。

 震災から10年、復興は急ピッチで進んでいると感じている。ただ、ハード面は進んでいるが、住民が戻るなどはまだまだで、新しい町になじむのはまだまだだ。

 五輪は2008年の北京とその次のロンドンに出場した。ロンドン五輪では銀メダルを獲得したが、五輪は参加してみて、歴史のあるスポーツの祭典であることを感じた。とくに大会の大きさの規模が違う。国全体のチームワークもある。選手村で各国のアスリートと交流したが、様々な人がいて、世界を感じた。そして、やはり五輪は「メダルを取るのと取らないのでは全然違う」ということを痛感した。参加しただけではなく、メダルを取ることの重要性は選手が一番感じている。

 そしてWeリーグも秋に開幕する。東京五輪では男女合わせてメダル獲得してほしい。メダルはいい弾みになる。私が総監督を務める大宮アルディージャ・ベントスも始動して1カ月、いいスタートを切って未来につなげたいと思っている。(前なでしこジャパン監督)

 ≪復興五輪につながる≫佐々木氏は都内で前日会見に臨み「なでしこジャパンの聖地でもあったJヴィレッジからのスタートで復興五輪にもつながる」とコメント。選手15人との走行形式は未定で「10年ぶりにミーティングでも開きたい」とおどける一方、「(辞退の)澤さんの分もやりたいという気持ちでピッチに立つ」と抱負を述べた。大会組織委員会の橋本聖子会長は被災地・福島からのスタートに「聖火リレーを通じて10年たった被災地の姿を世界に見てもらい、支援への感謝を伝えたい」と語った。

 ◆佐々木 則夫(ささき・のりお)1958年(昭33)5月24日生まれ、山形県出身の62歳。帝京高、明大を経て電電関東でプレー。引退後、06年になでしこジャパンコーチ、07年12月に監督に就任した。08年北京五輪で4位、11年W杯ドイツ大会優勝、12年ロンドン五輪銀メダル、15年W杯カナダ大会で準優勝に導いた。16年リオ五輪の出場権を逃して退任。今秋に開幕する女子サッカーのWEリーグ・大宮アルディージャVENTUSの総監督を務める。本紙評論家。

続きを表示

この記事のフォト

2021年3月25日のニュース