男子バレー元日本代表は8代目社長!南克幸さん、コロナ禍に「負けてたまるか」

[ 2020年4月12日 06:45 ]

元バレーボール男子日本代表の南克幸さん
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 セカンドキャリアで活躍したり、同じフィールドで長く力を発揮したりする人々は、競技で培った経験を糧にしている。1992年バルセロナ五輪に出場したバレーボール元日本代表で、創業143年の加藤海運で社長を務める南克幸さん(49)もその1人。新型コロナウイルスの感染拡大が暗い影を落とす状況でも「スポーツの力」を支えにしてエネルギッシュに生きる人のエールを届ける。

 元バレーボール男子日本代表の南さんは、1877年創業の加藤海運の8代目社長を務める。大型機械や飼料といったスケールが大きいものを貨物船で運ぶ事業がメインの総合物流会社を、現役時代、ネット際に君臨した2メートルの長身で引っ張る。16年にはタイにも進出した。85人の社員を思い「事業を大きくし、社員を幸せにすることが目的」と、充実した第二の人生を送る。

 五輪3大会で金銀銅メダルを獲得した故・将之さんを父に持ち、法大4年で92年バルセロナ五輪に出た名選手。華やかな経歴に目がいくが、経営者の現在に生きているのは、きっと旭化成の主将で味わった廃部経験だ。

 06年3月に、予期せぬ発表。同5月の全日本選抜大会で「チームの引受先が見つかるように優勝しよう」と仲間を鼓舞した。

 エリート街道を歩んだサラブレッドは、仲間の声に今までになく耳を傾けた。「スタメンもベンチも1人1人が役割を全うしないと1点を取れないと、改めて気付けた」。池井戸潤の小説さながらのストーリーで、下馬評を覆して4強入り。消滅を逃れられなかったが、「五輪を覚えていなくても、あのときの底力は忘れられない」とワンチームになった喜びが財産になった。

 08年に引退した。その後の営業職でも、義父の急逝をきっかけに13年に妻の実家の加藤海運を社長で継ぐことになってからも、一致団結して廃部に立ち向かった経験が生きた。

 新型コロナウイルスの影響で、順調だった業績が「下方修正しないといけない」と厳しい状況にある。ただし、スポーツマンらしく「こういう時に自発的に動けるように、社員に言葉を投げかけている。考えさせるように発信することが経営者の仕事」と前を見る。

 今夏に東京五輪があれば、開催中は東京支社の社員にテレワークをさせる予定だった。「事前に導入を考えていたので」と、コロナ禍になってすぐに対応ができた。情熱家の努力家は、会社の発展のために心血を注ぐ。「五輪で金メダルを獲っていたら、もしかしたら燃え尽きたり、おごりがあったかもしれないけど、まだまだ燃え尽きていない」。深刻な経済状況にも「負けてたまるか」の文字が力強かった。

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2020年4月12日のニュース