上田藍 大ケガで再び試練も成長するチャンス…前向き思考回路で「這い上がる」

[ 2019年5月31日 14:05 ]

上田藍
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 1・5キロを泳ぎ、40キロをバイクで駆け抜け、10キロを走る。00年シドニー五輪から採用されたトライアスロン。その「鉄人」と呼ばれる所以を、女子で4大会連続五輪出場を目指す上田藍(35=ペリエ・グリーンタワー・ブリヂストン・稲毛インター)に垣間見た。

 5月18日に横浜市山下公園周辺コースで行われた世界シリーズ第3戦、横浜大会。この大会で過去2度表彰台に立っている上田がスイムから大きく出遅れ、バイクでの周回遅れにより途中棄権となった。4月から担当になった記者はこれが初めてのトライアスロン取材。2月のケープタウンW杯を制し、てっきり好調なものだと思っていた。その疑問はレース後の取材で判明する。3月にアブダビで行われたミックスリレーの世界シリーズでのことだった。

 「(バイクで)一緒に走っていたスイスの選手が斜行したところで、前輪を持っていかれて落車をしたんです。その際に左胸の気胸と(左頭部の)外傷性くも膜下出血と、脾臓(ひぞう)の裂傷と左手に擦過傷を負ってしまって」

 痛いという想像すらつかない。ただ左手に残る生々しい傷跡が現実を伝えた。肺気胸は「親指大くらい」のチューブを左脇から差し込む手術だったという。その傷口が筋肉と癒着して動きが固くなっていること。縮んだ肺の吸い込む能力が低下していること。これら全てを笑顔で語り「記憶が飛んでいて気付いたら救急車だったので、トラウマはなしって感じですね」とケロリと言い放った。

 さらに驚くべきことに、上田はその大ケガの約1カ月後に高地合宿を行っている。肺に穴が開いた選手が、よりにもよって低酸素の環境で。「普通のことをしていては戻せないので」。実は上田は10年にも側溝に落ちて右頭部の外傷性くも膜下出血を起こした。その際、12年ロンドン五輪に再挑戦する「楽しさ」を実感し、今回の負傷に重ねる。

 「私の中では起こったことに対して成長するチャンスじゃないかと思える回路がつくられている。今こうして大ケガを負って可動域がなくなったということは、克服することで今まで気付いていなかった新たなトレーニング方法や動かし方を学ぶべき時期なんだと思えるんです」。

 水泳部だった中学、陸上の長距離に打ち込んだ高校と全国レベルまで花が咲くことはなくても、めげることなく努力を惜しまなかった。父の守男さんは言う。「うん、どん、こんで今の藍がある。運はトライアスロンで稲毛インターの山根(英紀)コーチに出会えたこと。鈍は鈍感、鈍くささ。根は鈍くささから努力する根気」。藍選手が何かを諦めたことはないのか、と聞けば「そんなことはない」と笑った。

 トライアスロンの東京五輪代表選考レースは7月の世界シリーズ・ハンブルク大会から本格的にスタート。8月に五輪会場で行われるテスト大会では、3位以内に入った日本勢最上位選手が最優先で代表に内定する。上田は上だけを見据える。「私の持ち味は粘り強さ。這い上がって8月表彰台に上りたい」。第一人者の完全復活は近い。(記者コラム・鳥原 有華)

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2019年5月31日のニュース