北尾光司さん 55歳の若さで死去 第60代横綱双羽黒 13年から闘病生活

[ 2019年3月30日 05:30 ]

亡くなった北尾光司さん
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 大相撲の第60代横綱・双羽黒の北尾光司氏(享年55)が2月10日午前7時30分、慢性腎不全のため千葉県内の病院で死去していたことが29日、分かった。妻の淑恵さんが明らかにした。葬儀、告別式は既に家族で行った。北尾氏は横綱時代に当時の師匠の先代・立浪親方(元関脇・安念山)と対立し失踪騒ぎを起こした。その後はしばらく格闘家として活動。相撲界からは長く離れ、2013年から闘病生活を送っていた。

 55歳。早すぎる死だった。北尾氏は近年、腎臓病を患い、13年からは闘病生活を送っていた。淑恵夫人は「何かと世間をお騒がせしましたが、主人は曲がったことが大嫌いな、とてもピュアな人でした」とコメントした。

 波乱の人生だった。79年春場所で、同い年で後の横綱・北勝海の保志(現八角理事長)らと初土俵を踏むと、1メートル99の長身を生かし懐の深い右四つで、86年名古屋場所後に横綱に昇進するスピード出世を果たした。1度だけ対戦して敗れた元横綱の北の湖親方(故人)は生前、「差せば差すほど自分の上体が伸び上がった。どんどん深みにはまっていくような懐の深さ」と話すスケールの大きさだった。しかし、一度も優勝経験のない横綱の誕生は異例で物議を醸した。背景には当時31歳の1人横綱の千代の富士に衰えが見られたため、看板力士をそろえたいという相撲協会の強い思惑があった。

 だが精神面が成長する前に番付の頂点に立った22歳はすぐに問題行動を起こす。昇進翌年の秋場所後に付け人6人が北尾氏から暴力を振るわれたとして巡業先から脱走。さらに同年九州場所後には、師匠の立浪親方から私生活の注意を受け、怒って部屋を飛び出し24歳であっけなく廃業した。これを機に横綱昇進には大関で連続優勝か、それに準ずる成績が必要となった。

 その後は格闘家としてリングに立った。98年の引退後、しばらく表舞台に出なかったが、先代から名跡を継承した立浪親方(元小結・旭豊)の誘いで03年に部屋のアドバイザー役に就任。しかし、最近は音信不通だった。以前、宴席で同席した相撲界OBが「今は何をしているんですか」と尋ねたところ、「岐阜の関(市)でナイフのデザイナーをしている」と答えたという。晩年は相撲界とは距離を置いていた。

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