波乱の人生だった輪島大士さん 横綱へスピード出世から金銭問題で退職 プロレスラー時代には伝説も

[ 2018年10月9日 12:04 ]

プロレスラー時代の輪島大士氏
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 大相撲の第54代横綱で、北の湖とともに輪湖時代を築いた輪島大士氏(本名・輪島博)が死去したことが9日分かった。70歳。石川県出身。

 輪島氏は、1970年に花籠部屋へ入門し、72年9月場所後に大関昇進、73年5月場所後に第54代横綱に。初土俵からわずか3年半のスピード出世だった。横綱時代は故・北の湖前理事長(享年62)としのぎを削り「輪湖(りんこ)時代」を築いた。左下手投げを得意とし、金色の廻しとかけて「黄金の左」の異名を取った。

 81年春場所で引退し花籠部屋を継承したが、金銭問題などで85年12月に日本相撲協会を退職。86年に故ジャイアント馬場(享年61)のつてでプロレスラーに転身。馬場とタッグを組み、必殺技ゴールデン・アームボンバー(喉輪落とし)でデビュー戦を快勝した。

 同じ大相撲出身の天龍源一郎(68)とは、相撲時代の格を超えて壮絶な技を出し合う、真っ向勝負の激しい戦いを繰り広げた。その一戦は伝説の試合とも言われ、衝撃を受けた前田日明(59)に「あんな事をやられたら、自分らの存在意義がなくなってしまう」と言わしめたほど。

 その後、リック・フレアー(69)やスタン・ハンセン(69)などとの勝負を繰り広げ、88年に引退。プロレスラーとしては2年ほどの現役生活だったが、輪島の試合中継は高視聴率を記録し、強いインパクトを残した。

 プロレス引退後は、タレントとしても活躍した他、アメリカンフットボールの監督を務めるなど、波乱に満ちた人生だった。

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2018年10月9日のニュース