元三重ノ海の石山五郎氏 輪島氏死去に声詰まらす 同時期に横綱「あんな形になって残念」

[ 2018年10月9日 16:36 ]

元三重ノ海の石山五郎氏
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 輪島さんと同時期に横綱を張った元三重ノ海の石山五郎氏(70=相撲博物館館長)が9日、亡くなった輪島さんについて語った。

 訃報はこの日のテレビのニュースを見て知り、「ビックリした」と声を詰まらせた。

 約2年前には名古屋のホテルのロビーで偶然、再会。「その頃は元気だった」というが、既に声が出なくなっていた輪島さんに一方的に話しかけ「今度一緒に食事に行こう」と誘ったという。それが最後の対面になった。

 輪島さんとは同じ1948年(昭和23)生まれ。石山さんが中学を卒業して少したってから入門したのに対し、日大で学生横綱となった輪島さんは鳴り物入りでのプロ転向だった。地方場所で高級ホテルから部屋に通うなどの派手な行動は「相撲界の中では番外な人」と見ていた。その半面、自身は名門・出羽海部屋で厳しい指導を受けていただけに「逆にうらやましいというのもあった」と特別な存在でもあった。

 現役時代の印象は「腕力が強かった。左を差されると、下手投げ、すくい投げが強かった」。対戦成績は16勝27敗と負け越している。ただ、最後は本割で8連勝(79年名古屋場所の優勝決定戦は黒星)した。そのきっかけとなったのが78年九州場所千秋楽での一番。対戦前夜に考えた張り差しにいき、「ガクンとなったのが分かった」というところをもろ差しで攻めて一気の寄り切り。次に会った時に「そんなに思い切り引っぱたかなくてもいいじゃないか」と言われたという。

 石山氏は80年九州場所で引退し、輪島さんは2場所後の81年春場所が現役最後の場所となった。親方としては少しだけ先輩だった石山氏は、輪島さんが審判部に配属になってから1場所に1回は酒席を設け、「自分の知っていることを教えた」という。

 幕内優勝は、石山氏の3回に対し、輪島さんは14回。現役時代の実績では劣る石山氏だが、出羽海部屋から独立して武蔵川部屋を起こすと、武蔵丸、武双山ら1横綱3大関を育てた。その後は理事長職も務めた。一方の輪島さんは、年寄名跡を借金の担保にするなど金銭問題により引退から5年足らずで廃業。対照的な人生となった。石山氏は当時の輪島さんの言葉を思い起こし、「本人は大丈夫と言っていたが…。あんな形になって残念」と振り返った。

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2018年10月9日のニュース