間垣親方死去 37歳早すぎる…悪性リンパ腫と闘病も力尽く

[ 2017年2月1日 05:30 ]

時天空(2015年1月13日初場所3日目撮影)
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 元小結・時天空の間垣親方(本名・時天空慶晃=ときてんくう・よしあき)が31日午前1時12分、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去した。37歳。モンゴル出身では初めて、日本の大学(東京農大)を経て角界入り。内掛けなどの足技も得意とし、小結を3場所務めた。15年秋から悪性リンパ腫を患い、昨年8月に現役引退。年寄「間垣」を襲名し、時津風部屋付きの親方となった。昨年9月の秋場所では花道の警備などの業務を務めたが、その後は休場して闘病生活が続いていた。

 間垣親方の容体が悪化したのは30日午前。東京都墨田区内の自宅で療養中に「呼吸が苦しくなった。救急車を呼んでほしい」とモンゴルから来日して看病に当たっていた家族に伝え、急きょ都内の病院に搬送された。師匠の時津風親方(元幕内・時津海)、部屋の力士らが病院を訪れたころには意識もあったというが、深夜になって急変。親方らが再び病院に駆けつけたころには昏睡(こんすい)状態で、最期は家族が見守る中、息を引き取った。遺体は31日午前3時ごろ、東京都墨田区の時津風部屋に運ばれた。

 一昨年7月の名古屋場所中に肋骨付近の痛みを訴え、肋骨にひびが入っていると診断された。その後も痛みが続き、9月の秋場所後に別の病院で検査を受けたところ、悪性リンパ腫であることが判明。九州場所から休場が続いた。現役復帰を目指して抗がん剤治療を受けたが、願いはかなわずに昨年8月に現役引退。「悔いはあるが、それを人生にぶつけ、経験として生かしたい」と話し、間垣親方となった直後の秋場所では警備担当を務め元気な姿を見せていたが、その後に腰痛や足の不調を訴え、治療に専念していた。

 入門時の師匠だった内田勝男氏(先々代時津風親方、元大関・豊山)はこの日、弔問に訪れ「異国から来て東農大で学んで、プロになって地位を高めた。培ったことを後輩にも指導できたのに。残念の極み」と目を潤ませた。

 現役時代は多彩な足技で土俵を沸かせた。前相撲での初勝利は内掛け。その後も蹴手繰りに蹴返し、極め付きは二枚蹴りだ。つった相手の足の外側を刈り倒す大技で館内をうならせた。昭和20年代後半、後に横綱となる栃錦が決めたことがあり「知ってるよ。あの技は映像で何度も見て、憧れている」と業師として胸を張った。しこ名に込められた意味は「モンゴルの広い空」。あまりにも早い、天国への旅立ちとなった。

 ◆間垣 慶晃(まがき・よしあき、本名時天空慶晃=ときてんくう・よしあき)1979年9月10日、モンゴル・ウランバートル生まれ。モンゴル時代は柔道選手として活躍し、00年に留学した東農大で相撲を始める。3年時に時津風部屋に入門し、02年名古屋場所で初土俵を踏んだ。04年春場所で新十両、同年名古屋場所で新入幕。右四つからの寄り、足技を得意とし、幕内63場所、最高位の小結を3場所務めた。三賞は技能賞1回。14年1月に日本国籍を取得。悪性リンパ腫の治療に専念するため昨年8月に引退。年寄「間垣」を襲名、時津風部屋の部屋付き親方となった。

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2017年2月1日のニュース