錦織 全米日本人初準V(1)覚悟決めたチャン・コーチ「神の声」

[ 2015年1月16日 11:30 ]

錦織(中央)はチャン・コーチ(左)の説得で全米オープンの出場を決めた

 昨年8月25日~9月8日にニューヨークのビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センターで行われたテニスの全米オープンは、日本テニス界にとって歴史的な大会となった。第10シードとして臨んだ錦織圭(25=日清食品)は、世界ランク1位のジョコビッチ(セルビア)ら強豪を次々と撃破し、アジア勢で初めて4大大会決勝に進んだ。その快進撃の内幕に焦点を当てる。

 錦織は悩んでいた。昨年8月。シーズン最後の4大大会、全米オープンの開幕はもう目前に迫っている。手術を受けた右足にはまだ痛みが残っていた。出るべきか、やめるべきか。気持ちは欠場へと傾き始めていた。

 右足裏の違和感はシーズン開幕直後から感じていたものだった。「いつもはできないマメができて気になっていた」。6月のウィンブルドンでは悪化したものの、プレーに支障が出ない程度だった。それが7月のシティ・オープン時に動けないほどの痛みに変わっていた。

 検査をしてみると、右足親指の付け根あたりにうみのたまる嚢胞(のうほう)ができていた。やむなく手術をしたのが全米オープンの3週間前。抜糸を済ませた時には、すでに開幕まで1週間を切っていた。術後からトレーニングは欠かさず行っていたが、ステップを踏めば、まだふさがり切っていない患部は痛む。

 「僕自身はあまり出たくなかった。手術して2週間後にはもうニューヨークに行く決断をしないといけなかった。痛みもあったし、そこまでリスクを冒したくなかった」

 錦織をためらわせた理由は5月の全仏オープンにあったのかもしれない。クレーシーズンで大活躍した代償として、左股関節と左ふくらはぎを痛めて3週間ツアーを離脱。全仏では本番までポイント練習(実戦形式の練習)もできず初戦で敗れた。同じ轍(てつ)は踏みたくなかった。

 しかしマイケル・チャン・コーチ(42)の考えは違った。「全米オープンには行かない方がいいんじゃないか」と相談をもちかけた錦織は、こう説得されたという。「わたしも試合の直前まで肩が痛くて様子を見ていたことがある。だけど当日まで待っていたら最後はベスト4まで勝ち上がれたんだ。圭もとりあえずニューヨークまで行こう」

 このシーズンからタッグを組み、トップ10入りを後押ししてくれたコーチの言葉をむげに断るわけにはいかなかった。本音は「そう言われたから渋々行った」。開幕3日前の会見でも「不安だらけ」「最終的に出場するかは当日に決める」と弱気な言葉が並んだ。そうした発言を新聞で目にしたチャン・コーチが最後に再びねじを巻いた。中尾公一トレーナーいわく「神の声」という叱咤(しった)激励。錦織自身は詳細を明かさないが、真剣なまなざしで強い気持ちを持つ重要性を説かれ、覚悟は決まった。

 全仏の時とは違い、開幕前にはポイント練習も再開できていた。1回戦の前日、午前中に西岡良仁と打ち合った時はまだこわごわとした動きだったのが、午後のF・ロペス(スペイン)との練習では見違えるようになった。「あの練習の感覚で自信を付けられた」。渋々出掛けたはずのニューヨークで、歴史的な快進撃が始まろうとしていた。

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2015年1月16日のニュース