羽賀亮平 日大の亡き友人と“頂点”つかむ

[ 2010年1月7日 06:00 ]

 昨年末のスピードスケート日本代表最終選考会。男子1000メートルで1分10秒35の2位に入り、初めて五輪出場を決めたのが羽賀亮平(21=日大―白樺学園)だ。男女計19選手中、唯一の大学生代表は「五輪がどういうところか想像できない」と苦笑いした。

 勝負のレース当日、アップの時に大事なTシャツを身につけた。白樺学園時代の同級生で、06年11月、アイスホッケー部の試合中に亡くなった伏屋智史さん(享年18)の遺品だ。小学校時代は一緒に陸上に打ち込み、高校で再会。ともに“頂点”を目指してきた。志半ばで他界した友を思い、日大進学後も毎年必ず仏壇に手を合わせてきた。昨夏に語り掛けたのは「力をちょっと貸してくれ」。友の力も味方につかんだ大舞台に「あいつも日本一になりたいと言っていた。いい報告ができる」と喜んだ。
 高校時代にインターハイを制した逸材だ。日大入学後は足踏み状態が続いたが今季、日本電産サンキョーの合宿に参加して飛躍につなげた。W杯初参戦の今季前半戦は500メートルでベルリン大会4位も、1000メートルは格下のBクラス5位が最高と“世界”を痛感。死に物狂いで練習に取り組み、代表切符をつかんだ。
 「五輪は結果を出さないとならないので頑張らないと」と羽賀。98年長野五輪500メートル金メダリスト清水宏保(35)にあこがれる21歳の挑戦が始まる。=終わり=
 ◆羽賀 亮平(はが・りょうへい)1988年(昭63)9月17日、帯広市生まれの21歳。小学3年からスケートを始める。白樺学園3年のインターハイ男子500メートル優勝。父・勝雄さん(51)は北海3年、1歳違いの母・美智子さん(50)は駒大苫小牧2年と、同じ年にそろって全道高校500メートルを制している。家族は両親と姉。1メートル75、74キロ。

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2010年1月7日のニュース