名選手 名会長 島田幸作氏、早過ぎる死

[ 2008年11月8日 06:00 ]

 日本ゴルフツアー機構(JGTO)の名誉会長で初代チェアマンの島田幸作氏が3日午後10時53分に膵頭部(すいとうぶ)がんのため、兵庫県宝塚市内の病院で死去していたことが7日、分かった。64歳だった。葬儀は近親者のみで執り行われており、今後はJGTOによる「お別れ会」が来年1月下旬に開かれる予定。日本プロゴルフ協会(PGA)から独立したJGTOを社団法人に引き上げた前トップの早過ぎる死に男子ゴルフ界は悲しみに包まれた。

 島田氏の膵臓にがんが発見されたのは1月下旬のことだった。PET検査による検診で判明し、その後は抗がん剤を服用。がん細胞が小さくなった時点で摘出手術を受ける予定で、それまで入退院を繰り返していた。しかし容体は良くならず、石川遼がABCでプロ転向後初優勝を飾った翌日の3日に家族に見守られながら息を引き取った。死去の事実は近親者のみによる葬儀が終わった後に公表された。
 島田氏は現役時代に日本プロ、日本オープンなどプロ通算15勝を挙げ、引退後にPGAのトーナメント管理委員長を務めた。JGTOがPGAから独立した後は初代チェアマン(現会長)に就任。ツアー予選会制度の実施などトーナメントの活性化に取り組み、PGAのプロテストに合格していない選手でもツアーに出場できる道筋をつけた。
 男子ツアーのレクサス選手権(茨城県大利根CC)の会場では、出場選手らが早過ぎる死を惜しんだ。島田氏の3歳下の尾崎将は「きのう知った。オレが、天職だからと言ってJGTOチェアマンを無理やりやらせたようなもの。選手と会長という2つの道を歩めて、人生やることをやったと思う」と故人をしのんだ。
 島田氏らのツアー改革でプロトーナメント出場の門戸が広がり、昨年、15歳でツアー史上最年少優勝を飾った石川は「アマでツアーに出場できたのも島田会長のおかげ。最優秀新人賞(島田トロフィー)を獲ることで、(故人に)感謝の気持ちが伝われば」と話した。島田氏は会長職を退いた後はシニアツアーへの出場を夢見ていたが、その願いもついにかなわなかった。

 島田 幸作(しまだ・こうさく)1944年(昭19)5月7日、兵庫県生まれ。尼崎工を卒業後、宝塚GCに就職してゴルフを始め、20歳でプロテストに合格。68年の日本プロでプロ初優勝。70年に関西オープン、73年に関西プロ、76年に日本オープンを制し公式戦4大タイトルを獲得した。プロ通算15勝。99年のJGTO発足と同時に最高責任者にあたるチェアマン(当時)に就任。今年3月で会長職を退き、名誉会長となった。

続きを表示

2008年11月8日のニュース