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【我が道 西野朗(11)】経験ないままユース代表監督

[ 2026年4月21日 00:11 ]

城彰二らを招集してチームを強化した
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 【我が道・西野朗】 現役を引退して日立のコーチになり、1年が過ぎた。91~92年シーズンが始まったばかりの頃、埼玉県出身の先輩で、ユース代表監督に就任することが決まっていた永井良和さんから「一緒にユースを見ないか」とコーチに誘われた。日立ではゼ・セルジオコーチが碓井博行監督をサポートしており、私はあいまいな立場だった。「それなら勉強にもなるし、やってみよう」と会社に相談した。ただ、日立もJリーグ参入を目指しており、私をチームに残しておきたかったようでなかなかOKが出なかった。ようやく11月に就任が決まった。年が明けると予想もしなかったことになった。日本サッカー協会から「永井が辞めることになったので、監督をやってほしい」と要請された。東日本JR古河サッカークラブ(現ジェフユナイテッド市原・千葉)のJリーグ参加が決まり、永井さんが初代監督に就任することになったのだ。5月下旬にアジアユースの1次予選が控えているため、断ることもできなかった。

 私は日本リーグで監督の経験もないまま、3月からユース代表の監督を引き受けることになった。日立のコーチ時代に当時日本国内では最高だったB級ライセンスを取っていたが、日本協会から「代表監督はAFCのライセンスが必要」と言われて、急きょ2月にマレーシアで受講、続いてイングランドでFAのライセンスも受講するなど慌ただしい就任だった。

 下馬評では「東アジアも勝ち上がれない」といわれていたが、私は可能性はあるとみていた。永井さんが前園真聖、伊東輝悦、服部年宏らを選んでいたが、自分で見て選手を選ぼうと考えて全国を飛び回り、新たに川口能活、城彰二、白井博幸らを候補に加えた。

 1次予選はソウルで行われた。北朝鮮が出場を辞退したため、韓国、中国と対戦して2位までが最終予選に進出できる。韓国のサッカーを肌で知ることも重要と考え、情報漏れを承知で4月に韓国遠征も行った。その効果もあって、5月23日の初戦で韓国に1―0で勝利。ユース代表が韓国に勝ったのは15年ぶりだった。ちょうどこの夜、1年後のJリーグ開幕へ向けて都内でキックオフレセプションが開かれていて、会場に結果が伝わると「やるじゃないか」と盛り上がったと聞かされた。

 1次予選を突破し、世界ユース選手権の出場権を懸けたアジアユースは9~10月にアラブ首長国連邦(UAE)で開催された。1次リーグを2勝1敗で突破し、準決勝で韓国と対戦。世界ユース選手権の出場枠は2カ国で、ここで負けたら終わりだ。だが1―2で敗れて世界への切符は逃した。大会が終わると日本サッカー協会から「このままこの世代と一緒に次の五輪に向かうか、もう一度ユースにチャレンジするか。協会としては五輪をやってほしい」と打診された。私は世界へあと一歩届かなかったことから、もう一度ユースをやりたい気持ちが強かった。考える時間をもらい、悩んだ末にアトランタ五輪を目指すチームを率いることになった。

 ◇西野 朗(にしの・あきら)1955年(昭30)4月7日生まれ、埼玉県出身の64歳。浦和西―早大―日立でMFとして活躍。大学1年生から日本代表に選出。引退後はアトランタ五輪代表監督、柏、G大阪などの監督を経てW杯ロシア大会で日本代表監督を務めた。現タイ代表兼U―23代表監督。

(この原稿は、2019年8月11日に、スポーツニッポン新聞紙上に掲載されたものをそのまま使用しています。肩書や記録、名前、地名などは、すべて掲載当時のものです)

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