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【井原正巳 我が道21】ライバルV川崎破り日本一 監督交代、選手離脱を乗り越え悲願V

[ 2025年7月22日 07:00 ]

95年チャンピオンシップで優勝、シャーレを掲げる
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 1995年(平7)、Jリーグは3年目を迎えた。横浜マリノスは前年のW杯米国大会でサウジアラビアを決勝トーナメントに進出させたアルゼンチン人のホルヘ・ソラリ監督を招へいした。「どんなサッカーになるのか」と期待感もあったが、難しいことはやらず、3バックから元アルゼンチン代表FWディアスら、前線のタレントをシンプルに生かす狙いだった。DF松田直樹やFW安永聡太郎ら若手を積極的に起用した。開幕戦で鹿島にアウェーで延長戦の末に4―3で勝利。第2節でV川崎に6―2で勝って首位に立つと、G大阪や鹿島と首位争いを展開した。

 だが、ピッチ外では想定外のことが次々と起きた。6試合で1得点と不振だった元アルゼンチン代表FWディアスが戦力外となり、4月23日に退団。25日には日本代表正GKの松永成立さんが紅白戦で控え組に回されてソラリ監督と口論となり、選手登録を抹消された。練習に参加できなくなり、5月末にJFLの鳥栖フューチャーズ(現サガン鳥栖)へ移籍した。松永さんは熱血漢なので、カッとなって引くに引けなくなったのだろう。残念な結末だった。代わりにゴールを守ったのが2年目のGK川口能活だった。試合に出るようになって力を付けた。チャンスをものにして、日本代表に上り詰めていったが、プロの世界ではこういうこともあるということを実感した。

 横浜Mは鹿島と激しい首位争いを展開していて、5月10日に横浜Mが横浜Fと引き分け、鹿島が広島に敗れたため、首位を奪回した。13日の市原(現千葉)戦後に1カ月間の中断期間に入った。日本代表が英国遠征を行うためで、私も招集されていたので英国へ行ったが、横浜Mはオーストラリアで合宿を行った。理由やいきさつはよく知らないが、ソラリ監督が退任することになり、早野宏史コーチが監督に昇格した。日本代表の英国遠征から帰国してチームに戻ると、監督が代わっていたということだ。

 早野さんはソラリのやり方を続けながら、自分の色を加えていった。再開後の6月下旬に3連敗したが、鹿島などの上位も負けて首位をキープ。7月22日の最終節で鹿島に1―0で勝って第1ステージ優勝を決めた。毎年優勝候補と言われていたが、ライバルのV川崎が2年連続で日本一になり、悔しい思いをしていただけに「やっと獲れた」と思った。サッカーをやっていて、初めて涙が出た。

 第2ステージは3位、優勝したのはV川崎で、チャンピオンシップで93年の開幕カードが実現した。「自分たちの戦いをすれば負けない」と自信もあった。チャンピオンシップは2試合とも国立競技場で行われ、第1戦は1―0、第2戦も前半29分にヘディングで決めた私のゴールで1―0、横浜Mの2勝で日本一になった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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