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【井原正巳 我が道9】W杯は夢!?1次予選で敗退 貴重な経験となった“アウエーの洗礼”

[ 2025年7月9日 07:00 ]

代表遠征中に欧州選手権決勝を観戦
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 中東遠征ではアラブ首長国連邦(UAE)と2試合、オマーンと1試合行い、2分け1敗だった。日本代表新監督の横山謙三さんは3バックを取り入れ、私は背番号7をもらって3試合とも3バックの中央でフル出場。佐野達さん(日産)や信藤克義(健仁)さん(マツダ)とDFラインを形成した。4バックの時とは守り方が少し違うが、無難にできて自信もついた。中東は初めてだったが、独特の雰囲気や文化に驚いた。帰国後、5月から6月にかけて、キリンカップがあった。元ブラジル代表MFジーコがいたフラメンゴ(ブラジル)、韓国代表FW車範根(チャボングン)のレーバークーゼン(西ドイツ)、中国代表と対戦した。フラメンゴの選手は技術が高く、人工芝用のスパイクを履いている選手もいた。結果は3戦全敗で、日本の立ち位置を知らされたが、私は3試合全てCBでフル出場し、ディフェンダーとしての成長を感じていた。

 この年は6月から7月にかけて約1カ月の欧州遠征があった。西ドイツ、オランダ、トルコなどで12試合行った。最初はCB、後半の6試合はMFで全試合にフル出場した。西ドイツでは芝のピッチが何面もあるスポーツシューレに宿泊した。ちょうど西ドイツで欧州選手権が開催されていて、ミュンヘンでオランダ対ソ連の決勝戦などを観戦、ファンバステンの角度のない所からの見事なボレーシュートを見た。トルコでは夜中に車のクラクションがうるさくて何度も起きた記憶がある。年が明けて1月から2月にかけて中東遠征があった。イランとシリアで8試合行い、この遠征ではCBで全試合に出場した。シリアのアレッポでは、泊まったホテルが全館塗装工事中で、ペンキの臭いで気持ち悪くなり、夜寝られず、体調を崩した選手も出た。「アウェーではこんなこともある」という貴重な経験だった。

 筑波大学4年生になった1989年(平元)5月、W杯イタリア大会のアジア1次予選が行われた。W杯は11歳だった78年アルゼンチン大会をテレビで見て初めて知った。MFケンペスが活躍してアルゼンチンが優勝したが、紙吹雪が印象的だった。

 アジア1次予選は香港、インドネシア、北朝鮮とホーム&アウェーで対戦した。第2戦でインドネシアとアウェーで対戦したが、約10万人入るスタジアムが満員になり、ハーフタイムにロッカーへ戻る時にひまわりの種が飛んでくる「完全アウェー」の中で0―0だった。最終戦で北朝鮮にアウェーで勝てば1次予選突破だったが、0―2で敗れた。北朝鮮の入国ビザを取得するために北京で1泊したが、天安門事件の約3週間後で、バスで天安門広場を通った時に戦車の走行した跡が残っていて、警備も物々しかった。北朝鮮で用意されたのはスタジアムから2時間かかるリゾートホテル。こういうことで驚いていてはW杯予選は勝てない。まだW杯出場が現実のものではなかった時代。「絶対にW杯に行くんだ」という気持ちが足りなかったことも確かだった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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