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【神戸の歩み】新チーム始動日に被災 経営難での消滅危機乗り越え頂点に

[ 2023年11月26日 05:50 ]

明治安田生命J1リーグ第33節最終日   神戸2―1名古屋 ( 2023年11月25日    ノエスタ )

来住健次さん
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 クラブの歴史は、阪神大震災から始まった。新チームで初練習の予定だった1995年1月17日。早朝の激震が高揚感をかき消した。選手らは無事だったが、震災の影響は深刻で、運営会社の大株主だったダイエーが撤退。チームは岡山県倉敷市に避難した。市民クラブとして発足し、97年にJ参入を果たしたとはいえ、苦難の連続だった。

 当時について、96年3月からクラブに在籍する施設管理部の来住健次さん(52)は「現在でいえばJ3上位、J2下位ぐらいの経営規模だった」という。神戸市西区にできた最初のクラブハウスはプレハブ仕立てだった。01年に加入したFW三浦知良(現オリベイレンセ)からリクエストされるまで風呂もなかった。

 当時の社員は10人程度。アカデミー指導と運営を兼務しないといけないほどだった。それでもファンからの「復興のシンボル」、「期待している」という声で何とか踏みとどまった。祭りなど神戸市でイベントがあれば全選手で参加した。三浦が始めた小学校訪問は20年続いている。当時のクラブができる最大の復興支援だった。

 ただ、努力だけでは成り立たず、毎年のように赤字を計上。98年には伊藤ハムがユニホーム胸部分のスポンサーから撤退し、2003年には累計赤字が約42億円に膨れ上がった。同年末に民事再生法適用を受けた。来住さんはクラブから「新しい受け入れ先を探しているが、見つからなかったら会社がなくなるかもしれない」と説明を受けたという。

 04年から楽天の三木谷浩史会長が経営権を取得し、豊富な資金が売りになった。だが復興の象徴として神戸を支えてきた、それ以前の8年間があったからこそ今がある。阪神大震災、経営難によるクラブ消滅の危機を乗り越え、たどり着いた頂点だった。

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