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中村憲剛氏 三笘が生きるのは「4―3―3の左前」 川崎F時代知るレジェンドが語る日本のエース

[ 2023年3月22日 05:00 ]

中村憲剛氏
Photo By スポニチ

 元日本代表MFの中村憲剛氏(42)がスポニチ本紙の独占インタビューに応じ、第2次森保ジャパンの主軸として期待されるMF三笘薫(25=ブライトン)について語った。川崎Fでは現役最後の20年にともにプレーし、三笘の“原点”とも言えるプロ1年目を知る中村氏。当時の秘蔵エピソードや、ブライトンでの成長ぶり、森保Jでの最高の生かし方などを独自の目線で明かした。海外組の三笘らは21日に帰国し、全26選手が集合した。

 中村氏から見て、三笘のストイックさは当初から際立っていた。

 「自分をよく知っていて、自分のやるべきことにまい進していくタイプでした。なので、こちらから多く言うことはなかったし、ただ見守っていたに近い。ロッカールームで(田中)碧とか(旗手)怜央がわいわいやっている横で自分のことを黙々とやっていた。でも、やる時はやる。ある種、(1年目から)プロっぽかった」

 表に出さないが、相当な意志の強さも感じた。

 「普段はおとなしいのに、ゴールパフォーマンスのときに凄くはじけるじゃないですか。彼が中に飼ってるものは相当強いものがある。それを解き放つ瞬間なんでしょうね」

 自分を客観視し、常に足りないものを補う努力をする三笘には、親子ほどの年齢差でも簡単には助言できない空気感があった。
 「一言で言うとオーラがある。みんな既に一目置いていた。自身の世界観があるのを理解していたから。じゃあフランクに話しかけづらいかというと、そうでもない。(忘れ物をして)妙にロッカーを往復しているときも、寝癖がピーンって出ていたときもよくあって。天才と天然は紙一重です(笑い)」

 世界最高峰のプレミアリーグ初挑戦の今季、ブライトンで公式戦27試合に出場し9得点5アシストと存在感を放つ三笘。持ち味のドリブルだけでなくパスでも結果を残すようになったことを“成長の証”とする報道が多いが、中村氏は異を唱える。

 「パスは川崎Fのときも出しているのはよく見ていた。(下部組織時代は)中央でもプレーしていたので、パスを出せる視野と技術がある。パスも出せるからドリブルが生きる。個人的には、ドリブルだけで勝負するタイプとは思っていません」

 何よりも凄いのは、環境への適応力だという。

 「Jリーグでやっていたことを普通にプレミアのレベルで見せていることが凄い。いつも通りに見せることはそんなに簡単じゃない。あのレベルにアジャストして、パフォーマンスを出していること自体が凄い」

 一方で、変化を感じる部分もある。

 「フィジカル要素が伸びたことで、元々持っている技術がさらに発揮され、相手に脅威を与えられる選手になってきた印象です。(昨季期限付き移籍したベルギー1部サンジロワーズで)日本とは違う欧州独特の芝の中でタフにやり続けたことで、瞬間的な出力も相当上がっている。特徴的なのは(ドリブルの)緩急。0から100、100から0とスピードをコントロールできる。だから相手が対応しきれない。ドリブルに気を取られて間を空けるとキラーパスも出てくる。相手DFに対して常に守備の選択肢を増やすボールの持ち方をするので、俺はいつも流川楓(バスケットボール漫画『スラムダンク』の主要人物で万能型の点取り屋)だなと思っているんですよ」

 いよいよ24日のウルグアイ戦(東京・国立競技場)を皮切りに、第2次森保ジャパンは3年後のW杯へ歩み出す。三笘が最も生きるポジションはどこなのか。中村氏は言う。

 「最高の生かし方を考えると、4―3―3の左前なのかなと」
 ただそこには“壁”がある。アジアが主戦場だったW杯カタール大会以前の日本代表は4―3―3がベース。だが、本番では5バックを選択して守備を固め、強豪のドイツやスペインを撃破した。

 「世界の中での日本を見たときに、現状4―3―3で殴り合えるほどの力があるかというところ。ボールを握られ、後ろを5枚にして活路を見いだす形が、前回のW杯で取れる最大の手だった」

 結果、三笘はより後方のウイングバックを任され、守備に時間を割かれながら攻撃に参加。3年後のW杯で三笘をより生かす形にするためには、4枚で守り切るためのチーム全体の底上げが必要になると話す。

 「4―3―3で、世界の強豪国相手にボールを握れるか。日本代表の戦術的な幅の広がりが凄く大事になってくる。ここからは薫の成長はもちろんのことだが、周りが彼の最大値を出せる状況をしっかりとつくることができるか。それがここから先の3年のポイントとなると思います」

 ◆中村 憲剛(なかむら・けんご)1980年(昭55)10月31日生まれ、東京都小平市出身の42歳。03年から20年の現役引退まで川崎Fに一筋で在籍。引退後はクラブのリレーションズオーガナイザー、日本協会のロールモデルコーチ、母校・中大のテクニカルアドバイザーなどを務める。日本代表では10年W杯南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ68試合6得点。

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