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中村俊輔の素顔 挫折乗り越えられた裏表ない純粋な人柄 レジーナ時代から取材する本紙記者が語る

[ 2022年10月17日 05:01 ]

<横浜FC・金沢>後半、ボールをキープする横浜FC・中村(撮影・西海健太郎)
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 今季限りで輝かしい現役生活に幕を下ろすことを決断した横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)は誰からも愛された。国民的スターの素顔を、02~05年に所属したレジーナ時代から取材し続けた本紙の垣内一之記者が語った。

 俊輔と知り合ったのは、レジーナ移籍1年目のシーズンを終えた03年夏だった。それから取材を続けて19年。魅了されたのは、何も芸術的なプレーの数々だけではない。あれだけのスターにもかかわらず、全く飾らず裏表がない、純粋な人柄もだった。
 忘れられないシーンの一つが、セルティック時代にグラスゴーで、大人数で夕食を共にした時のこと。自身だけが肉を注文したと知るや、ナイフで細かく切ってみんなに配って回った。周囲への細かい気配りができるのも俊輔。そういった心遣いや察知力が、受け手に優しいスルーパスなど、プレー面にも通ずるものがあったと思う。

 Jリーグ復帰後は、他クラブの選手でも「海外移籍の話を聞きたい」と頼まれれば、忙しい合間を縫って食事の機会を設けることもあった。毎年1月初旬に行っていた自主トレには、年々参加者が増え、今年は横浜のMF喜田、名古屋の日本代表FW相馬、浦和のU―21日本代表GK鈴木彩艶らたくさんの後輩たちが参加した。それも俊輔の寛大で、誰に対してもオープンな明るい性格があってのこと。

 だからなのだろう、数々の挫折を乗り越えられたのも。もちろん、心が折れそうになりながらも、悔しさをバネに収めた成功の数々は、何より俊輔の努力のたまものだ。ただ繊細な面もありながら、人なつっこく、おおらかで無邪気なあの性格がなければ、幾多の試練を乗り越えられただろうか。4兄弟の四男の家庭環境で育った俊輔。末っ子気質で誰からも愛されるキャラは、サッカー人生にプラスに作用していたに違いない。

 近くで接し、サッカーへの強い情熱も何度も感じた。今年6月に再びメスを入れた右足首は、5~6年前から既に限界に達していたと聞く。骨と骨の間にあるクッションの役割をする軟骨は、すり減ってもうほとんどなくなり、骨も変形して爪先立ちさえできない状態という。それでも最後まで諦めなかった。9月に入ってボールを蹴れるまでに回復すると、自然と笑みが戻った。その笑顔が、全てを物語っていた。

 日本サッカーの象徴として君臨し続けたその雄姿が、もうピッチで見られないのはさびしい。それでも、これまで培った豊富な経験とずぬけたサッカーIQで、今後は指導者として活躍してくれることが今から楽しみだ。

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